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評者◆内田雅敏
戦争で斃れた内外の死者達を靖國から取り戻すために――日本社会を覆う靖國イデオロギーの闇は深い
No.3033 ・ 2011年10月08日




9結語 
死者を取り込み
延命を図る靖國神社

 何故、高橋譲裁判長ら3名の裁判官達は靖國神社の実態に迫ろうとせず、明らかに事例の異なる最高裁昭和63年判決にしがみついたのであろうか。
 それは一言でいえば靖國の「英霊」に拘りを持ちたくなかったからであろう。靖國神社には、幕末以来の天皇の軍隊の死者246万6千余名が「英霊」として祀られている。その多くは日本の庶民たちである。戦死者の遺族にしてみれば、国家が夫、父、子、兄、弟を戦争に狩り出し、その命を失わせた以上、国家は面倒を見て欲しい、祀って欲しい、と考えるのは無理もない。ところが国にはそのような施設がない。結局、戦死者を祀ってくれているのは靖國神社だということになる。
 遺族会の活動もあり、戦死者の遺族らに対する「戦傷病者・戦没者遺族等援護法」による年金等の支給と靖國神社への合祀がほぼ連動して行われてきたという経過がある。国は支給を決定すると、自動的にその情報を靖國神社に伝える。靖國神社はその情報に基づいて合祀をしてきた。
 歴史認識についても同じような問題が起こる。戦死者の遺族にとって自分の夫、父、子、兄弟等、愛する者の死が不義の戦争による犬死であったというのは耐えがたい。その死に何らかの意味付与をしたい。1946年3月南原繁東大総長主催で「戦没者並びに殉職者慰霊祭」が行われたが、その告文には「一たび……戦いに召さるるや、諸君はペンを剣に代えて粛然として壮途に上った。その際あまたの学生のうちだれ一人、かつて、諸国に見られたごとき命を拒んで国民としての義務を免れんとするものはなかった。……」と述べられていたという。死者に対する思いがリベラリスト南原繁をして歴史に向き合う目を曇らせるのだ。
 国家は〈アジア解放の聖戦〉だと言って彼らを戦争に狩り出したのではないか――遺族のそんな思いに、靖國神社は〈あの戦争は侵略戦争ではない〉〈植民地支配は間違っていない〉〈あなたの夫、父、子、兄弟の死は犬死ではない〉と囁きかけ、遺族を取り込み、延命を図る(※)。そして、愛する人が何故死んだのか、その原因、責任を追及しようとする遺族らの気持ちに蓋をする。
 ※註〔靖國神社を支える遺族会が各遺族のために「戦傷病者、戦没者、遺族等援護法」の適用を受けられるよう様々な手助けをし、あるいは遺族年金の増額ために活動するなどしてきたことも大きい。〕
 残念ながら私達日本人の多くはこのような靖國神社の実態を知らない。
 靖國神社に関する政府答弁書(05年10月25日)に「国民や遺族の多くが、靖國神社を我が国における戦没者追悼の中心的施設であるとし、靖國神社において国を代表する立場にある者が追悼を行うことを望んでいるという事情を踏まえて」とあるように、戦後66年を経た現在もなお、国民の多くは靖國神社を戦死者を祀っている特別な神社だと思っている。かつての天皇の参拝、そして首相や国会議員ら国の要人たちの参拝などがこの考えを助長している。   日本社会が靖國イデオロギーから抜け出せていない。靖國神社に参拝はしないまでも同神社の「英霊」には触れないでおこうという考えや、靖國神社を批判し、「英霊」に触れることは中国大陸、南海の島々で斃れた日本の戦死者達(その多くは国家によって犠牲を強いられた名もなき庶民であった)を冒涜することになりはしないかという危惧の念を払拭できないでいる(※)。こうして靖國神社の「英霊」はアンタッチャブルな存在となる。日本の闇は深い。
 ※註〔敗戦後の1945年11月28日の臨時国会で最後の陸軍大臣下村定は、陸軍が政治を壟断し、今日の事態をもたらしたことを陸軍を代表して国民に対する謝罪演説を為したが、その末尾において「私は国民諸君の従来からなるご同情に訴えまして純真忠誠な軍人軍属の功績を抹殺しないこと、なかんずく戦没の英霊に対して篤き御同情を賜らんことを切にお願いいたします」と涙ながらに訴えた。この訴えに対して、議場では拍手が鳴り響き、多くの議員がハンカチで涙を拭ったという。〕
 靖國神社は、死者の追悼、慰霊でなく、死者を「護国の英霊」として顕彰していることに留意すべきである。追悼、慰霊と顕彰は全く別だ。このことは毎年8月15日に行われる「全国戦没者追悼式」と比較してみればよく分かる。ここでは戦没者を追悼するだけであって、「神」として顕彰をしてはいない。また、日本の近・現代史の賛美もない。最近ではアジアに対する加害責任についても語られるようになった。この「戦没者追悼式」について近隣諸国からの批判はない。どこの国でもやっていることだからである。靖國神社合祀と「全国戦没者追悼式」と違いをしっかりと認識しておかなければならない。
 既に戦後66年。1868年、この国の近代が始まり、1945年に破綻するまでに七十余年、もうすぐそれに近い年数にならんとしている。日本の侵略戦争に狩り出され斃れ、靖國神社に取り込まれている内外の多くの死者達を同神社から取り戻さなければならない。2011年8月6日
(靖國合祀取消訴訟弁護団/ヤスクニ・キャンドル行動日本事務局長)







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