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評者◆別役実
神田
No.3031 ・ 2011年09月24日




 「ちょっと神田へ行ってくるよ」と言って家を出ても、家内や周辺のものは、山手線に乗ってJRの神田駅で降りるのだとは、ほぼ考えていない。地下鉄に乗って神保町駅に降り、そのあたりへ行くのだと見当をつけるのであり、私もその通りにする。
 JRの神田駅と地下鉄の神保町駅は、かなり離れており、ひとくくりに「神田」とするには、やや無理があろうと思われるし、その上「神田の古本屋街」という言い方があるように、どちらかと言えば神保町の方が「神田」の本家のように扱われているから、その名を口にする度に、私はいささかためらう。
 どうでもいいようなことであるが、「芝で生まれて、神田で育ち、今じゃ火消しの纏持ち」という、江戸っ子の江戸っ子たる所以を主張する文句があって、「この神田はどっちだろう」などと考えてしまうのである。芝には「芝明神」があって、そのあたりが「芝」の中心地らしいから、「神田」の方も「神田明神」の近くなのかもしれない。だとすると、これはJRの神田駅とも、地下鉄の神保町とも離れているから、「もうひとつの神田」ということになってしまう。
 ただ私は、かつて「白水社」という出版社が、『新劇』という演劇雑誌を出していた関係で、その社屋がある神保町の方の「神田」に、よく足を運んでいた。『新劇』が廃刊になって後は、ちょっと間を置いて、『せりふの時代』という演劇雑誌が「小学館」より刊行されることになり、この社屋も神保町にあったから、その編集に関わっていた私は、またもや神保町の「神田」に、度々通うことになったのである。
 実は、当初から私の戯曲集や童話集を出してくれていた「三一書房」が、御茶ノ水にあって(後に引越した)、そこへもよく行くことがあったものの、この場合は「神田へ行く」とは言わなかった。「御茶ノ水へ行ってくるよ」と言うのである。前述した「白水社」へ、御茶ノ水経由で行くことも多く、ただしこの場合は、「神田へ行く」となるにもかかわらず、である。
 もしかしたら私の周辺のものは、同じ電車に乗っても、私が「御茶ノ水へ行く」と言うか「神田へ行く」と言うかによって、「三一書房」へ行くか、「白水社」へ行くか、見当をつけていたのかもしれない。ただし、私は「三一書房」で用を済ました後に、坂を下って神保町に降りてゆくことが多かったし、「白水社」で用を足して後、坂を上って御茶ノ水から帰ったことも多かったから、私の中でこの二つの地名は、かぶさり合っていた、と言ってもいいだろう。
 ともかく、この界隈をうろつく「物書き」は多かったに違いない。そしてそれぞれ、御茶ノ水、もしくは神保町を経由して、ここに入りこんでいたのであろう。その証拠に、と言っていいのかどうかわからないが、御茶ノ水と神保町のちょうど中間あたりに、「山の上ホテル」という古いホテル(新館が出来ているが)があって、そのロビーに入ると、たいてい何人かのそれらしい人物を見かけることが出来た。つまり双方から集ってくる「物書き」の群が、ここで濃くなるのであろう。
 かつて「白水社」の主催する《新劇岸田戯曲賞》の選考会は、たいていこのホテルの一室で開かれていた。他の出版社による対談や、座談会や、その他の会合にも使われることが多く、時間早めに着いてロビーでコーヒーを飲んでいたりすると、見知った顔に出会い、「おや、君は何だい」というようなことがよくあったのである。
 「山の上ホテルでカンヅメだよ」という話もよく聞いた。私自身は、どんなに急を要する仕事の場合でも、カンヅメは苦手なので(かえって苛々して一枚も書けないことが多い)一度もお世話になったことがないが、対談の折などに部屋を見せてもらい、「ははあ、ここで脂汗をしぼるんだな」と思ったことはある。
 一度、故・宮本研氏(劇作家)が、たしかNHKの連続物を書くべくここでカンヅメとなっていた最中、急病で倒れ(たしか、腹膜炎だったと思う)近くの日大病院に担ぎこまれたことがあった。実は宮本研氏こそ、「カンヅメのベテラン」と言われていた人で、私が《新劇岸田戯曲賞》をもらって劇作家として独立しようとした時、「仕事をもらったら、必ずカンヅメを要求したまえ」と忠告してくれた人なのである。「一流ホテルに入り、その間に栄養のあるものをいっぱい食べておくんだ」と。
 前述したように、私の場合その忠告は無駄になったが、日大病院を無事に退院された後、「劇作家は、病気になるといきなり無収入になるから、入院時に日当のつく保険に入ってなくちゃいけないよ」と忠告され、これはその通り実行した。「研さん」と、私たちは常日頃そう呼んでいたから、ここでもそう呼ばせていただくが、劇作家の最も「食えない時代」の作家で、私たち駆け出しに、「食うための知恵」を度々さずけてくれていた。
 「本があがって、上演料が提示されたらね」という話は、今でもよく覚えている。「金額を見ずに、大声で『安い』と言うんだ」というのである。「金額を見ると、俺たちはもらいなれていないから、思わずこんなにもらえるのか、と思っちゃうからね」というわけだ。
 山の上ホテルには、そういう話がいくつもまつわりついている。《新劇岸田戯曲賞》の最初の受賞パーティーも、(たしかつかこうへいの受賞した時だったと思うが)ここだったと思う。つまり、それ以前は受賞パーティーなどなかったのだ。私の時は、「白水社」の社長室に、私と選考委員と編集長の石沢秀二氏が集って、石沢氏がポケットから祝儀袋に入った賞金(たしか五万円である)を出し、「間違っているといけないから、ちょっと数えてみてくれ」と言い、「はい」と私が祝儀袋を出してそれを数え、「確かにあります」という具合だったのだ。
 神保町の「神田」は、古本屋街であるが、私自身はそれをそれらしく利用したことはほとんどない。「それらしく」というのはほかでもない、「どこか一軒、おなじみの店を作っておいてだな、何か必要な本があったら、そこに頼むといいよ」と言われたことがあるのだが、そんなことをしたことがなかった、というわけである。
 私は私の仕事上、ほとんど文献資料を必要としたことがない。かつて俳優小劇場の演出家である早野寿郎氏は、私のことを「無勉強派」と称していた。NHKで何度か仕事をした時も、「別役さんて、取材もしないし資料も必要としないし、カンヅメもしたがらないから、お金の出しようがない」と言われたことがある。つまりNHKというところは、本代そのものは安く、その代りに取材費とか資料費とかカンヅメ代で、埋めあわせをしていたのである。
 私の古本屋めぐりは、店先に並んだ文庫本の安売りをあさる、という程度のことが多かった。一度だけアダムスの《THE WORLD OF CHARLES ADDAMS》が資料として必要になって、それこそ神田中の古本屋を探しまわったことがあったが、これだって、おなじみの古本屋が一軒あって、そこの親父さんに頼めば、直ちに探し出してくれていたに違いない。何とか見つけ出したものの、この古本屋街は、未だにそのようにしか歩かせてもらっていない。
 私の古本屋とのつきあいと言えば、学生時代、早稲田周辺に並んでいたそれらへもっぱら売って、その日のコーヒー代と煙草代をひねり出すために利用していたような気がする。それらしい文庫本を五、六冊持ってゆくと、何とかなったのである。
 もちろん、もうちょっと多額の資金を必要とする時は、もうちょっとまともな本を用意しなくてはならない。「あれを持って行けば、あの古本屋の親父はいくらくらい出すだろう」と、自宅の本棚に並んだ本を見ながら、情けないことに、そんな風に考えるくせがついてしまったほど、当時はその取引がさかんだったのだ。
 私は今でも、ロルカの選集(たしか四巻本だった)と、「みすず」の特集本(七~八冊あったはずである)を売らなければならなくなった時の残念さを、よく覚えている。実は、高田馬場の駅近くの質屋では、古本も預かってくれたのであり、私も二、三度利用したが、そこで「流される」よりは「売っぱらってしまう」方がむしろサッパリすると、古本屋へ行くことの方が多かった。
 御茶ノ水から神保町にかけては、いい喫茶店も沢山あった。古本屋の安売り棚で気のきいた推理小説などを一冊買って、もよりの喫茶店に入り、煙草に火をつけて頁をめくるには、最も適した街だった、と言えるかもしれない。ただ、「だった」と思わずここで過去形にしてしまったのは、ここへ来てそうした喫茶店が、急に少なくなってしまったからにほかならない。
 もちろん、こちらが歳をとってしまったせいもあり、昔のままに残っている店を見つけて入ると、照明が暗すぎて、文庫本の活字を拾えなくなっていたりする。そのうちに、「ここでは煙草を喫えません」という店も、今のところはないが、増えてくるのではないだろうか。
 街は変わる。御茶ノ水から神保町にかけての「神田」は、比較的変わっていない場所のように思えるが、それでも変わりつつある。変わらないところも、こちらが変わって、変わったように思えてしまう。
(劇作家)







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