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評者◆内田雅敏
靖国神社は戦死者追悼ではなく「英霊」再生産の施設――韓国人原告の夫や父の勝手な合祀は、人間の尊厳を踏みにじる行為
No.3031 ・ 2011年09月24日




4韓国建国の礎、
韓国憲法前文を
否定する靖国神社
 さらに問題がある。靖國神社の前記歴史認識は原告らの祖国、大韓民国の建国の礎を否定するものであることに留意すべきである。大韓民国憲法前文は「悠久の歴史と伝統に輝く我が大韓国民は3・1運動により建立された大韓民国臨時政府の法統及び不義に抗拒した4・19民主理念を継承し……」と謳っている。これは前記日本国憲法の前文「政府の行為によって再び、戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」に対応するものである。3・1運動とは1919年3月1日、日本の植民地下、ソウルで学生らが中心となって起こした独立運動の事である。つまり韓国の建国の礎は日本の植民地支配からの独立運動にあることを、私たち日本人はしっかりと理解すべきである。なお「4・19民主理念」とは1960年、李承晩独裁政権に抗した学生革命のことである。
 現在もなお韓国に対する植民地支配を肯定し、韓国の人々が屈辱と考える創氏改名による日本名のままで原告らの夫、父らを日本のための「護国の英霊」として勝手に合祀している靖國神社は原告らの祖国の礎を否定しているのだということを理解すべきである。
 11年8月16日、韓国の「中央日報」〈時視各角〉は「日本、皇国臣民DNAを捨てろ」と題し、以下のように述べている。
 「教科書歪曲、独島(日本名・竹島)問題、靖國神社参拝、韓国との関係を悪化させる日本の慢性的な3大風土病だ。教科書と独島問題はまた発病している状態だ。まだ靖國が静かなおかげで最悪にはなっていない。……靖國はどういうところか。軍国主義日本に戦争のヱネルギーを吹き込んだ国家機関だった。『天皇 国家 神』という世界で類例がない超国家主義信仰の聖殿だ。『天皇のために戦死するのは栄誉』という意識を植え付けるところだ。これによって数多の皇国少年が喜んで命を捨てた。靖國は彼らの霊魂を慰労したり、遺族の悲しみをなだめる追悼施設ではない。皇国臣民ならこうして死ぬべきであり戦死を模範として称える国家的顕彰施設だ。ここを参拝することと先祖の墓で法事をするのとは本質的に違う。靖國の展示館『遊就館』に行ってみれば分かる。侵略戦争を正当化しながら士気を鼓吹する展示物でいっぱいだ。……私達はよくA級戦犯の合祀を批判するが、これは本質ではない。A級戦犯を靖國から移せば何の問題もないのか。決してそうではない。靖國はそれと関係なく皇国思想の象徴であり、侵略戦争の道具だった。ここを参拝する国家指導者がどうやって平和を語ることができるのか。」
5何故、靖国神社は
戦前の歴史認識を
変えられないか
 靖國神社の体する歴史認識は、このような日本政府の公式見解、国際社会の常識に真逆する。そんな歴史認識を公然と表明している靖國神社が何故存在しうるのか。それが可能となったのは日本国憲法下、靖國神社が日本国家から離れ、一宗教法人となった(それはあくまでも、法的にという意味であるが)からであった。つまり、靖國神社は一宗教法人という隠れ蓑を使い、そして、憲法第20条「信教の自由」に依拠することによって戦前からの歴史認識をそのまま維持することができたのである。逆に言えば、靖國神社は戦前からの歴史認識を維持したが故に靖國神社として存続し得たともいえる。靖國神社で祀っているのは「護国の英霊」としての「神」である。〈神は悪を為さない〉、侵略戦争で死んだ兵士――「皇軍」でなく「蝗軍」※――では神になれない。神になれるのは「聖戦」で死んだ兵士だけだ。
※註 中国大陸における日本軍の暴行、略奪、放火、殺人に怒った陸軍在籍の天皇の直宮が言ったという。
 靖國神社が日本の近・現代における戦争と植民地支配を全て肯定している理由はここにある。靖國神社が日本の近・現代史を反省したら、その瞬間に同神社に祀られている「英霊」は「英霊」でなくなり、同神社は「靖國神社」でなくなる。このことは他の宗教団体と比較してみるとよく分かる。戦前、仏教、キリスト教などの宗教団体も日本の侵略戦争に加担した。戦後、これらの宗教団体はそのことについて一応の反省をした。教義の上で反省することは可能であった。ところが前述したように「護国の英霊」を祀っている靖國神社はその教義からして反省することができない。
 靖國神社は、戦没者を追悼するのではなく英霊として顕彰することによって遺族の悲しみを誇りと喜び(対世間的に)に変え、英霊の再生産を行う施設なのである。A級戦犯合祀も同じだ。合祀したA級戦犯を分離することなどできない。東條英機らA級戦犯は靖國神社にこそふさわしい。
 日本国家も、靖國神社がこのように戦前からの歴史認識をそのまま維持していることについて、「信教の自由」だからとしてこれを放置し、その責任を免れてきた。そんな靖國神社に日本の首相が参拝すれば、国際社会から日本は本当に反省しているのかと批判されるのはあたりまえである。
6傷口に塩を塗る
靖国神社
 「傷口に塩を塗る」という言葉がある。日本の植民地支配下、アジアに対する日本の侵略戦争に狩り出され、命を落とさせられた人々を靖國神社が何ら反省することなく護国の英霊とし合祀していることがそれだ。前述したように1945年8月15日の日本の敗戦によって何らの影響を受けることなく、現在なお、日本の侵略戦争を聖戦だと主張し、植民地支配を肯定するナルシズム史観――それは国際社会の常識に反し、日本国内の一部でしか通用しない――に立脚する靖國神社は、前記侵略戦争に狩り出され命を落とさせられた人々からすれば敵であり加害者である。そんな加害者が悔い改めることなく被害者をその死後において、しかも戦後14年を経た1959年になって、なお日本を守る「護国の英霊」として顕彰するために合祀する。それは自己の抱く歴史観を正当化するために、被害者たる死者を再び利用するものであり、これこそまさに、死者の「傷口に塩を塗る」行為であろう。
 国際社会において通用しない無茶苦茶なことをしている靖國神社、そんな靖國神社に原告らの夫や父が勝手に合祀されていることによる原告らの苦痛は、本判決の言う「内心的な不快感や嫌悪感」といった程度のものでは到底ないことは容易に理解できるはずである。原告らは同胞から「夫や父がそのようなところに合祀されていることを知りながら、それを放置していることが妻として、子として許されるのか。恥ずかしくないのか」と批判されることは必定である。《靖國神社に合祀されているからといって原告らがその宗教、習俗に基づいてそれぞれの仕方で死者を祀ることは妨げられないのであるからいいではないか。他者の宗教的な行為に寛容になりなさい》というのは原告らには通用しない。原告らが死者をどのように祀ることができるかは関係がない。靖國神社が原告らの夫、父を原告らの意思を無視して、勝手に合祀していること自体が許せないのである。
 事は「信教の自由」の問題でなく、「人間の尊厳」の問題である。
――つづく
(靖国合祀取消訴訟弁護団/ヤスクニ・キャンドル行動日本事務局長)







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