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評者◆内田雅敏
戦争と植民地支配を反省するのか、肯定するのか――憲法にも政府公式見解にも背を向け続ける靖國神社
No.3030 ・ 2011年09月17日




2 靖國神社の歴史認識
 判決(11年7月21日、東京地裁靖國合祀取消訴訟判決)は、原告らが本件合祀を苦痛に思うことについて「原告らの歴史認識等」を前提にすれば、理解し得ないわけではないとも述べる。
 後述するように、日本が起こした先の戦争が侵略戦争であることを認め、また植民地支配を謝罪したことは日本政府の公式見解であり、かつまた、今日における国際社会の常識である。「原告らの歴史認識等」はまさにこの国際社会の常識に合致するものであって、原告らに特有なものではない。「理解し得」るとは、裁判所は一体何について理解し得るというのであろうか。そして理解したならば、それが判決文の中にどのように反映されているのか。
 本件原告らの合祀取下げ要求等について考える際に留意すべきことは、靖國神社とは何かということである。その際、戦前の靖國神社の実態を検証することは当然であるが、同時に現在の靖國神社をも検証しなければならない。
 戦前、靖國神社は国家神道として、日本のアジア侵略、植民地支配に伴走し、これを精神的に支えてきた。しかし日本国家は1945年8月15日の敗戦を経て、「政府の行為によって、再び戦争の惨禍を起こすことのないようにすることを決意し……」(憲法前文)と、アジアに対する侵略戦争と植民地支配を反省し戦後の再出発をした。このように伴走してきた日本国家が公式的には(対外的にはというのが正確かもしれないが)その歴史認識を改めたにもかかわらず、靖國神社はそのような反省をすることなく、戦前の歴史認識をそのまま維持している。
 靖國神社社務所発行の『私達の靖國神社』は日本の近・現代史について以下のように述べている。
 「日本の独立と日本を取り巻くアジアの平和を守るためには、悲しいことですが外国との戦いも何度か起ったのです。明治時代には『日清戦争』、『日露戦争』、大正時代には『第一次世界大戦』、昭和になっては『満州事変』『支那事変』そして『大東亜戦争(第二次世界大戦)』が起りました。……戦争は本当に悲しい出来事ですが、日本の独立をしっかりと守り、平和な国として、まわりのアジアの国々と共に栄えていくためには、戦わなければならなかったのです。こういう事変や戦争で尊い命をささげられた、たくさんの方々が靖國神社の神さまとして祀られています。……また、大東亜戦争が終わった時、戦争の責任を一身に背負って自ら命をたった方々もいます。さらに戦後、日本と戦った連合軍(アメリカ、イギリス、オランダ、中国など)の、形ばかりの裁判によって一方的に〝戦争犯罪人〟とせられ、むざんにも生命をたたれた千数十人の方々…靖國神社ではこれらの方々を『昭和受難者』とお呼びしていますが、すべて神様としてお祀りされています」
 もう一つ例を挙げよう。
 靖國神社の歴史認識を具体的に表現しているのが同神社の遊就館の展示である。展示室15(大東亜戦争)の壁に、「第二次世界大戦後の各国独立」と題したアジア、アフリカの大きな地図が掲げられ、以下のような説明がなされている。
 「日露戦争の勝利は、世界、特にアジアの人々に独立の夢を与え、多くの先覚者が独立、近代化の模範として日本を訪れた。しかし、第一次世界大戦が終わっても、アジア民族に独立の道は開けなかった。アジア民族の独立が現実になったのは大東亜戦争緒戦の日本軍による植民地権力打倒の後であった。日本軍の占領下で、一度燃え上がった炎は、日本が敗れても消えることはなく、独立戦争などを経て民族国家が次々と誕生した」
 「大東亜戦争」は侵略戦争でなく、植民地解放のための戦い、聖戦だったというのだ。そして戦後独立したアジアの各国について、独立を勝ち取った年代別に色分けし、彼の国の指導者、例えば、インドのガンジー氏などの写真が展示されている。ところが日本の植民地であった台湾、韓国、朝鮮民主主義人民共和国については色が塗られてなく彼の国の指導者の写真も展示されていない。ただ、朝鮮半島については南北朝鮮につき小さな字で、1948年成立と書かれているだけである。
 靖國神社のこのような見解は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」(憲法前文)として再出発した日本の戦後を否定し、1945年8月15日以前の日本に戻ろうとするものである。
 日本の近・現代史を無条件に肯定し、反省するところのない靖國神社のこのような歴史認識が国際社会で通用しないことはすでに述べたところである。

3 国際社会の常識

 「1945年6月26日、サンフランシスコで国連憲章が署名されたとき、日本はただ一国で、40以上の国を相手に絶望的な戦争を戦っていました。戦争終結後われわれ日本人は、超国家主義と軍国主義の跳梁を許し、世界の諸国民にも、また自国民にも多大な惨害をもたらしたこの戦争を厳しく反省しました。日本国民は祖国再建に取り組むに際して、我が国固有の伝統と文化を尊重しつつ、人類にとって普遍的な基本価値、すなわち、平和と自由、民主主義と人道主義を至高の価値とする国是を定め、そのための憲法を制定しました」(1985年10月28日、中曽根康弘首相の国連総会演説※)。
※註 演説2カ月前の8月15日に靖國神社に参拝してアジア諸国から批判を受けた中曽根首相は、特別国会で「日本は近隣諸国との友好協力を増進しないと生きていけない。国際社会において、我が国だけの考え方が通用すると考えるのは危険だ。アジアから孤立したら果たして英霊が喜ぶだろうか」と述べ、以後参拝を取りやめた。
 1995年の戦後50年国会決議・同じく、「今、戦後50年の節目に当たり、我われが銘記すべきことは来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで人類社会の平和と繁栄の途を誤らないことであります。我が国は遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への途を歩み、国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えました。私は未来に過ちなからしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここに改めて、痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」と反省を述べた村山富市首相談話。
 「3・1独立運動などの激しい抵抗にも示されたとおり、政治的、軍事的背景の下、当時の韓国の人々はその意に反して行われた植民地支配によって国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました」(2010年8月10日、「韓国併合100年」を迎え、菅直人首相談話)。
 これが戦後日本政府の公式見解であり、国際社会の常識である。
――つづく
(靖國合祀取消訴訟弁護団/ヤスクニ・キャンドル行動日本事務局長)







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