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評者◆阿木津英
ベタでだだ洩れな短歌たち――都築直子「非日常という日常」(『短歌往来』九月号)の考察から
No.3029 ・ 2011年09月10日




 『短歌往来』九月号の都築直子評論「非日常という日常」がおもしろかった。非常事態はこのたびの東日本大震災が初体験の作者の、『阪神大震災を詠む』(朝日新聞社)など数冊を読んでの感想は、「読みごたえは短歌より俳句にある」「思いは俳句でじゅうぶん伝わる」「余計な感慨をいわないぶん、訴える力がある」というものだったという。文中引用した句と歌を見れば、なるほど、そのとおり。短歌は言い過ぎていて、どれも下七七は無くていい。
 非常事態を題材にするとなると、詩人や俳人がとつぜん多量の短歌を発表することがよくあるが、短歌が「ベタなことも言える」形式としてみなされているらしいとも指摘、批判する(下七七の無くてよいような短歌氾濫の時代、ベタでだだ洩れでいいと思われるのは当然かもしれないが)。

原発を制御不能の東電の右往左往の醜態あはれ

 東日本大震災後、いちはやく出版された長谷川櫂『震災歌集』(中央公論新社)の歌である。都築直子は、上記以下四首を引いて、「こういう未熟な作品を一頁一首組の歌集に仕立てて本にするのだから、長谷川櫂という人の……」と、なかなか率直で手厳しい。
 長谷川櫂の名誉のために付言すれば、先の一首だけを見ても、助詞「を」「の」「の」「の」と接続させる使い方、さすがに言葉を鍛錬してきた作者だけあって、凡手でない。「未熟」ということは決してない。巧みすぎるくらい巧みである。
 だが、若い短歌作者である都築直子に「本気の俳句には命をかけるが、趣味の短歌はこの程度の言葉遣いでいいと……」と言わしめるものが、これらの歌にはあるということも自省してみていいだろう。
 狭い知見でいえば、明治大正以来、片手間に歌などひねる文芸人文化人はいくらもあったが、彼らであれば掲出歌ほどの出来の一首も、戯れ歌ですよといった羞恥の面持ちで何かのついでに投げ出して見せるくらいだろう。間違っても、それで一冊作って「歌集」と銘打ち、売り出すことはない。
 人のみならず、出版文化の根底をかたちづくる倫理がすでに崩落変容してしまったのである。
(歌人)







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