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評者◆石塚洋介
上海雑感その2――長江に鳴り響く船の汽笛を聴けるのもあとどれだけのことだろうか
No.3025 ・ 2011年08月06日
上海の気候はどうと聞かれると、暑い寒いという前にまず湿気のことを言いたくなってしまう。年がら年中湿気が高いのには正直気が滅入る。関東人の感覚としては、冬は穏やかな太陽と乾燥した空気という観念があるので、じめじめした冬はほんとうに辛い。2月の雨の日に部屋にいてみようものなら、体の芯まで冷えきってしまう。だが、重慶に行ったらそんな上海の湿気の比ではなかった。“霧都”の異名をもつその街では、雨が降ろうものなら朝から視界は真っ白、ベッドから起き上がったときに魚になったような錯覚すら覚えるくらい、空気中の水分が多い感じがした。肌はベトつくし、肺も水蒸気でいっぱいになったようだった。
重慶は不思議な街だ。中心がない。川のほとりに人が集まったのが、どんどん大きくなって、都市になりましたという感じだ。ときの政治や宗教の権力者が屋敷を構え、そのまわりに人が集まったという感じもなく、極めて俗なにおいのする街なのだ。重慶名物の辛い鍋、火鍋にしても、俗の代表作だ。なんでも入れる。今となっては正体不明の牛のおなかの皮やら、豚の脳みそまで、金輪際見ないだろうと思われるものがテーブルに並んでいたのを思い出す。湿気が高い重慶では湿疹など肌のトラブルがつきもので、そのためには辛いものを食べて汗をかき、肌の健康を保つのが現地人の知恵らしい。肌のきれいな美女が重慶に多いのはそういうわけ、というのが現地人のコメントであるが、とにかく俗っぽい。 重慶でもう一つ特徴的なのは、坂の多さである。坂というのは考えてみると都市の印象を決定づける重要な要素であって、北京の天安門広場前の長安街が坂でうねうねしていたら荘厳さは半減するだろうし、上海にしてもどこからでも浦東の高層群が見えるくらいきわめてフラットにできている。逆に東京のように、ちょっとした坂があると風景がぐっと詩的に見えたりもする。が、重慶の場合はそんな審美意識もすっとぶくらいに地形が極めて山がちで、おんぼろ路線バスでは登り坂で必ず悲鳴をあげるほどだ。 釜のように蒸し暑い天気の中、坂を登ったり下がったり、それはもう地獄のようだった。だが、一方で神秘的なにおいをも放つのが重慶の不思議なところである。それは長江があるからだ。重慶、武漢、南京さらには上海まで、いくつもの大都市を結び、中国一の米所を支える川。決してきれいではないが長江を眺めていると、賈樟柯が『長江エレジー』で描いたような、川と人が織りなす生活に独特のゆっくりとしたテンポが思い出される。長江の流れのように、急がず焦らずゆったりかまえる生活の美。中国は高速鉄道時代に突入し、2000キロ以上ある北京‐上海間を4時間で結ぶ路線が先日開通しニュースを騒がせた。生活の加速化は沿岸都市部からだんだんと内陸部へと波及していき、そうしたゆったりとした生活が消え去るのも時間の問題かもしれない。長江に鳴り響く船の汽笛を聴けるのもあとどれだけのことだろうか。ぼわーんと宇宙のように広がるその音色が、霧都にとけ込んでいくのは実に神秘的なサウンドスケープだ。失われる前にもう一度訪ねたいものである。 (現代中国写真研究) 中 国 |
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