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評者◆杉本真維子
他人の手
No.3025 ・ 2011年08月06日




 電車がガラ空きだったので、ゆったりと腰掛けると、横の座席に緑色の虫がいた。やたらと存在感のある虫だった。電車は次の駅へと発車し、その短い時間、私はここに誰かが座ったらどうしようと落ち着かなくなってきた。田端~、田端~、と独特の抑揚で駅名が告げられ、ぞろぞろと人が乗り込んできた。あ! そこには虫が、と指さすと、苦笑いしてOL風の女性はひとつ向こうへずれた。たしか、これはカメムシ。つぶれるととても臭いが、それ以上に、誰かがその上に座り、つぶす瞬間をなぜ私が見なければならないのか、と息苦しさのようなものさえ感じた。だから次の駅も、次の駅も、私は見張り番のように、ここにいますよ、と指さして、座ろうとする人に教えていた。
 そのカメムシが、池袋駅の手前で、ぶーんと飛んで、通路の真ん中でぴたっと止まった。ああ、今度は誰かが踏むのを見なければならないのか、とまたも恐れていると、さらにカメムシは向かいの乗客のほうへ飛び移り、瞬間、ひとりの男性が見事に手で掴みとった。そして後ろの窓を引きおろし、手の中の虫をぱっと外へ逃がした。
 静かな拍手が車内に響き渡った(と思う)。片隅で怯えていた女子高生たちも胸を撫で下ろし、私は、その場にいた者しか知らない、一人の英雄を見たことに、なんともいえない贅沢さを感じていた。車内はちょっとしたハプニングによって小さな共同体を作りだす。もう二度と会うことはないだろう人々と共有する時間。それはいずれ忘れてしまうけれど、忘れてもいいのだと思える気軽さが、「見ず知らずの他人」の温かさでもある。
 一方で、忘れられない「見ず知らずの他人」もいる。それは台北での夜のことだ。母とバスを待っていると、乗るはずの203号のバスが、二車線の向こう側を、行き先とは反対方向へ、物凄い勢いで走っていった。それを見た母が驚き、バスが行ってしまった! と慌てだしたので、周囲の台湾人が心配そうに集まってきた。「ここで大丈夫、循環しているから待っていればこっち側に戻ってくるよ」と、私は少し離れたところでのんびり構えていたのだが、一人のビジネスマン風の男性が、突然、私と母の手を掴み、全力で走りだした。
 信号は赤、猛スピードの車が私たちの目前に迫る。台北は車優先社会なので、慣れた台湾人にしかこんなことは出来ない。クラクションは鳴らされただろうが、それさえも聞いた覚えがなく、無音のなかを、私たちは走っているというより、飛んでいるようだった。真ん中の彼が飛行機の胴体部分だとすると、私たちは両翼。わけもわからずふわふわと、けれども必死に、強く繋がれた手だけを信じて、夜の台北の街を走った。
 辿りついた先は、離れた場所にある、同じく203号の、反対方面へのバス停だった。私はそこで漸く事態を把握し、目的地を告げると、さっきのバス停で合っている、あなたは間違っていない、というようなことを言われ、元の場所へ戻ることになった。その間に、私たちが乗るはずのバスも、彼が乗るはずのバスも、行ってしまった。
 ああ本当に申し訳ないことをした。彼のバスが全然来ないのだ。謝ると、気にしないで、と笑顔で何度も首を振る。そのうち、私たちが乗るバスが先に来て、彼は乗車口まで一緒に乗り込み、この二人の日本人を饒河街夜市で降ろして、と運転手に告げてくれた。
 バスに揺られながら、おとな三人で手を繋いで猛ダッシュしたことを、不思議な気持で思い返していた。あのときのうっとりするような幸福感はなんだろうと。おそらく、行き先もわからず、ただ真剣に走ることの中に、私の知らない「自由」があった。ありがとう、と、窓越しに、いつまでも振った手には、いまも名も知らない彼の手の熱が残っている。
(詩人)







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