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評者◆秋竜山
釣りにうつつをぬかす道楽者、の巻
No.3022 ・ 2011年07月16日




 嘘のような本当の話。今では、海岸線をクルマで走っていると、すぐ沖に小さな定置網が張られている。漁船が一つ、二つ。時間で網をあげている様子がわかる。その昔にも定置網があった。その昔の定置網からくらべると、今の定置網はオモチャみたいなものだ!! と、いうと、今の漁師に叱られるだろうけど、本当の話だからしようがないだろう。何が、オモチャみたいかというと、海に張られてある網の規模というか、まず大きさがくらべものにならない。今は十人足らずの乗りくみ員で定置網を運営しているのであるが、昔は七、八十人もの漁師たちによって漁業がなされていた。一つの漁村というか村人すべてが漁業にたずさわる運命共同体のようなものであった。そして、嘘のような話になってしまうが、これも本当の話。私は、その漁業の最後の漁師であった。と、いうのも、私が漁師になってしばらくして漁業が村から無くなってしまったからであった。昭和三十年代の半ばで定置網漁業の一つの時代が終わったといってよいだろう。日本中の昔の、大時代的な定置網漁業は、まるで、この時代に自然消滅したといってよいだろう。漁師に成り立ての見習い漁師の若い衆であった私たちは、「やっぱり、俺たちが考えていた通りになった」と、いいあったものであった。高橋千劔破『花鳥風月の日本史』(河出文庫、本体一二〇〇円)では、〈第八章 魚介の日本史〉で、〈趣味としての釣りは江戸時代から〉。
 〈魚は日本人にとって、縄文の昔から大切な食料であり、生きるための重要な糧の一つであった。(略)やがて人びとは、楽しみのために魚を釣ったり、観賞するために魚を飼ったりするようになる。〉(本書より)
 釣りというのは、道楽者のお遊びである。
 〈道楽としての釣りは、大名や武士たちをはじめ、裕福な江戸市民の間で大いに流行った。いや裕福とはいえない江戸っ子たちも、趣味と実益を兼ねて釣り竿を片手に魚籠をぶら下げて、海辺や掘割に出かけた。ちなみに当時の釣り竿は、ほとんどが延竿、すなわち布袋竹などの一本竿である。豪華な細工をほどこした継竿も作られていたが、高価なもので、こうした竿を持つものは大名や豪商など一部に限られていた。〉(本書より)
 その後、〈「釣りは道楽の行止まり」といわれるほどになる。〉女性たちも舟に乗って釣りをするようになった。これらの本文を読みつつ、「そーだったよなァ」なんて、昔をなつかしむのも、今は昔の物語である。私が漁師だったころ、釣りをするなどということは、まず論外であった。定置網の漁師ということは、目的は魚であるが、これは生活者であり、釣り糸を海にたらすということは、遊び人であった。だから、漁師でありながら釣りをしたりしていては、叱られたものであった。「釣りなんかするな!! 」。つまり、魚をとるということを「もっと、まじめにやれ!! 」と、いうことであった。だから、嘘のような本当の話だというのである。あの当時、私はまじめな青年であったからいっさい釣りをやらなかった。今から考えてみると、もったいないことをしてしまったということだ。釣りをすべきであった。釣りにうつつをぬかす道楽者になれなかったのが残念でたまらない。と、残念がってどーなるものでもなし。







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