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評者◆内堀弘
初めて目にした小さな詩集――書物という紙の器はそれ自体が物語なのだ
No.3022 ・ 2011年07月16日




某月某日。新しい在庫古書目録をだすと、直ぐに高祖保の詩集『禽のゐる五分間写生』(昭16)に注文が入った。月曜発行所というプライヴェートプレスが作った20頁ほどの小さな詩集だ。
 戦前の優れた詩書の多くは既存の出版社の外側で生まれている。巨木や美しい花ばかりではない。一枚の葉っぱのような詩集にも書物文化の豊穣は映っているものだ。この詩集も発行部数は僅かに百部。なんと洗練された小冊子かと驚くばかりだが、今で言えばインディーズ出版だ。こんな小さな詩集を遺して、高祖保は昭和20年に戦死する。
 「白井敬尚の仕事展」を銀座で見たのは震災の前のことだ。氏がデザインした書物や雑誌が並び、夕刻からはトークショーも開かれた。その中で、こんな発言があった。一冊の書物とは、たとえばフォントとかマージン(余白)とか紙をどうするとか、つまり作品とは関わりのない要素で成り立っているというのだ。何げない言葉だったが、私には印象的だった。
 『禽のゐる五分間写生』を作ったのは、近江に住む詩人の井上多喜三郎で、彼は優れた個人出版の担い手でもあった。高祖保は売れっ子作家でもなんでもない。井上は大切な友人の作品を小さな詩集にしたかったのだ。いや、詩集というより、まるでグリーティングカードのように薄い冊子だ。そんな書物を手にすると私達は今でもとても新鮮な気持ちになる。この新鮮さは、白井敬尚が言うように作品とは関わりのないものだ。書物という紙の器それ自体が保っている力なのだ。
 私がこの小さな詩集を古書の入札会で見たのは、この三十年で初めてだった。二十年ほど前、一度だけ他店の古書目録に表紙の欠けたものが出たことがある。それだけだ。
 思い込みの強い方なので、私はずいぶんな値段で落札してしまい、これを自店の古書目録に12万とつけた。こんな値で注文はくるのだろうかと思っていたが、結局注文を下さったお客さんは十人にもなった。
 言い方に語弊があるかもしれないが、本好きのお客さんは佳いものを本当によく知っている。電子化されれば絶版書がなくなるというが、書物(紙の器)はそれ自体が物語なのだ。
(古書店主)







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