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評者◆阿木津英
巨大な咀嚼する胃袋としての短歌――沈黙がちの、ささやかな、ふつうの歌こそを
No.3022 ・ 2011年07月16日




 どの歌誌をひろげても、東日本大震災と福島第一原発事故の歌にあふれている。何か歌わずにはおれないといった気持があるのだろう。
 だが、これでいいのだろうかと、とまどいを覚えることも事実だ。
 短歌という詩形は、震災だろうと放射能だろうと、バリバリ噛み砕いて呑み込んでしまう巨大な胃袋みたいだ。そう、何かを「消費」するときの感じと同じだ。
 和歌から五句三十一音だけを抽出した近代の短歌は、ついに巨大な咀嚼する胃袋であるのか。
 『白鳥』七月号巻頭では成瀬有が、「現代詩手帖」五月号特集「東日本大震災と向き合うために」をとりあげる。なかに、3・11以前の石井辰彦作「人類を泯ぼす……なんて、簡単、さ!   地球/が(鳥渡)身動げば、いい」他一首を引用、以後であったら、「簡単」等の語を中心に大幅に書き換えなければならないだろうと評している。
 成瀬の言いたいことはわかる。しかし、以後でもこの作者は「簡単」を消し、大幅に書き直すことはないのではないか。この歌は要するに、短歌という三十一文字の巨大な胃袋のなかを縦横自在に動き回る快感で成り立っている。「簡単、さ!」というタカをくくった言いぐさは、以後の神経にさわるけれども、それを真面目な物言いにさせてみたところで、何も変わらない。あえて言えば人間から叩き直せという話になる。そんなことをさせる資格は誰にもない。
 和歌から五句三十一音のみを抽出し、その形式を埋める新しい現実生活主体たる内容という、近代発生の短歌の一つの限界値が、これなのだ。
 新しさは、もういらない。次のような、流浪の民となるべき運命の幼い白いてのひらを見つめて立ちつくし、雪に混じりこんだナンテンの葉の緑に沁みるような生を感じ取る、沈黙がちの、ささやかな、ふつうの歌こそは、どのような時代にも必要なわたしたちの歌であろう。佐藤通雅「11・3・11」(『短歌往来』七月号)より。

流浪の民として発ちゆかんバスの窓をさなの白きてのひら映る

掻き集め溶かしゆく雪その中にナンテンの葉の緑も混じる
(歌人)







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