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評者◆小野沢稔彦
今、改めて一切の同一性から離脱して、意識的に流動の中に生きること――ハイレ・ゲリマ監督『テザ 慟哭の大地』
No.3020 ・ 2011年07月02日




 ポストコロニアル世界とその構造、そしてその構造を支える心性とを多様な視点から視つめ、そこに公認のアフリカ史には記録されることのない民衆の生の発現と記憶とを交錯させ、この世界に偏在する危機の内実を鋭く視つめ、深く描いたエチオピア映画『テザ 慟哭の大地』(ハイレ・ゲリマ監督)が上映されている。この映画は、アフリカ解放の希望と挫折という現実と、民衆の記憶と祝祭性とが交錯し、その複雑な時間構造と空間構成の裡に問い直され、現代世界の課題と、同時にアフリカの無限の可能性とが展望され、映画でしかなしえない映画的問いが内包された圧倒的な問題作である。確かにこの映画の地・エチオピアは長い間、独立国としてあったが、その現実は植民地と変わらなかったし、より屈折した内実の裡で、民衆はこの時代の困難を生きねばならなかったのだ。
 一九六〇年代から七〇年代にかけては、紛れもなくアフリカの時代であった。そのアフリカの新しい鼓動は、旧帝国主義宗主国の収奪と暴力的支配、つまりあらゆる意味での植民地主義的抑圧からの解放を模索する現実的な運動として生まれ――現実に次々と植民地の軛を破って独立が達成された――、世界の変革を望む者にとって希望の中心だった。その過程の裡でアフリカ統一の展望さえもが語られていたのだ。そして、この噴き上がるアフリカの希望を現実化すべく、各国のエリート(選別されたまったく少数の)たちは、西欧(宗主国だ)やソ連などへ留学し、そこでその「知」を学び持ち帰り、新星「国家」の建設に乗り出した。その時「知」こそ〈権力〉となるだろう。
 その西欧的知のエリートの一人が、本映画の主人公・アンベルブルであり、その主人公の造形には、同様な経験を持つ監督・ゲリマの体験もまた色濃く反映されていると思われる。映画は、まず、このような希望への出発と西欧での体験――現実は差別構造の中で、その帝国主義的抑圧体系の方法を学ぶことだ――と、それに対する躊躇と疑問そして同調、エリート間での分裂の勃発と、そうしたことの追体験を行うのであり、倒立した知の現実を反省的に視つめ直すことなのである。そしてエリートたちの帰国後の行動、すなわちかつての植民地主義的政策の反復でしかない抑圧的統治スタイルそのものを、正面から見つめ直そうとするのだ。この20世紀後半のポストコロニアルの現実、ネオ官僚主義批判の物語は、しかしこの現在を絶望的に苦く規定し、今も続いている。
 一方、アンベルブルの生の裡には、数千年にわたる、アフリカの大文字の歴史に記録されることのない豊饒で多様な生の記憶が蓄積されている。やがてこの豊饒な記憶は、出口のない現実を反省的に照射する。そして彼は、民衆の豊かな記憶の運動性をバネに、この現実を視つめ直そうとするだろう――母への追憶、女への愛。このように『テザ』の物語は、現実の歴史と身体に記憶されたアフリカの生の記憶とが互いに照射し合い、交錯し、過去と現在、現実と夢幻、あるいは歴史と伝承、そして神話的祝祭性とが複雑に絡み合って、アンベルブルの内に固着した権力的「知」を浮上させ問い直す。この『テザ』の方法は、まさにラテンアメリカ文学の語り=騙りの物語と似て、きわめて魅力的な物語世界となって展開される。しかしここには、ポストコロニアルの現実をめぐる多様な問題系が露出しているが故に、哄笑よりも80年代以降の悲劇性(出口なきアフリカ)こそが表象されてある。ここに展開される現実(=物語)は実に重く、観る者の――いまだに私たちがアフリカに向けるオリエンタリズムの眼差し――自明性を拒否する否定性の強烈さにおいて、この現実を担保する私たちを圧倒する。
 ポストコロニアリズムとは、植民地帝国主義時代の抑圧体制の中で、そこにくらす人々の生活の細部にまで、その「力」によって生活の仕方そのものを侵蝕し、変質させ、その結果作られた現在の新しい体質(旧い帝国主義の反復としての)が、旧植民地の解体後(独立後)に、今度は独立国家内の新しい権力構造となって噴出し、新星国家そのものの内部を喰い破って露出し、新しい抑圧体制となって民衆を呪縛することであるのだが、この内的な呪縛は単に暴力的に発動されるだけでなく、家族のあり様や共同体の位相などの、日常性の末端にまで及んでいるのだ。実に「愛」のあり様まで。更に、旧植民地主義はその抑圧体制を強化するために、それまで存在してもいなかった「民族」主義やジェンダー構造の捏造の他、様々な構造的「差別」を生み出し、その制度性を民衆抑圧の方法として動員する。その作られた最悪の日常的生活スタイルは、現在に強化されて引き継がれ、今日の民衆を覆い、映画の主人公、かつてのエリート・アンベルブルの上にも徹底的に襲いかかる。権力的政治ゲームに絶望した彼は、政治体制の中枢から身体を退き、生まれ故郷――かつて超エリートとして脱出した地だ――の貧しく、今も因習と貧困の中にある地へ引き籠って、そこで新しい生のあり方を模索する。しかし、常に良心的な道を選んできた彼をして、今、彼の上に今日の抑圧の現実が重くのしかかる。そして現実の政治の裡で彼は、存在そのものの抹殺に直面する。
 「国家」エチオピアも、度々の政治ゲームの中で、支配者が変わり「社会主義」を看板とする民衆抑圧の体制のみが強化され持続する。その中でアンベルブルは、ファシズム・イタリアの侵略を顕彰する碑の前でなすすべもなく佇むしかない。帝国主義時代の体制以上の政治的抑圧体制の中で傷ついた彼は、その生死の渦中で様々な悪夢を見る。そしてその悪夢の涯で近代の歴史とは別の、あるべき未来を幻視する。それは旧い母たちとのくらしのすべてを今日に立ち上げ直すこと。女との新しいくらしを再建すること。それが、この社会の、より強化された性の抑圧体制に抗して、新しい女との幻視の関係性を紡ぐことだ。しかし、女との人間的でまったく新しい関係の構築は、現実として彼らが流動する民となって「国家」から追放されることによってしか現実化への道はない。
 今、改めて一切の同一性から離脱して、意識的に流動の中に生きること。慟哭の大地の中で生命のラザ(朝露・幼少期)を視つけようとするアンベルブルは誠実に――西欧に抱かれたエリートとしてではなく――、この大地の裡に女と共に新生を見つけようとする。希望などないが。
『テザ 慟哭の大地』は、渋谷シアターイメージフォーラムにて公開中、以下全国順次公開。http://www.cinematrix.jp/teza/
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