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評者◆別役実
信濃町 (下)
No.3020 ・ 2011年07月02日




 (承前)「サーカスの平土間」と言っていいだろうか。そこを半円形に客席が取り囲んでいるのであり、或る祝祭空間のようなものが、そこに約束されているような気がするのである。私はそこに、縦軸を強調するため、電信柱を一本立てたくなるのだが、或るとき舞台美術家が、その電信柱のほどよいところに、看板をひとつ取りつけた方がいいと提案した。つまり、客がそれを意識することにより、縦軸というものが単なる方向ではなく、手がかりのある具体的な体験過程になるはずだと言うのであり、それはその通りの効果を発揮した。
 そのようにしてその空間は、空間それ自体が、空間であることを主張しはじめたのである。当然ながらこの場合、そこに集って舞台を舞台たらしめるべく、敏感に、そして柔軟に反応してくれた観客のことも、無視することは出来ない。
 「客がいいよ」と、或る時そこでやった私の芝居を見た友人が、のっけに言ったことがある。私の本よりも、それを演じた役者の仕事よりも、それをまとめ上げた演出家をはじめとするスタッフの手際よりも、それを観た客の方をほめたのであり、一瞬私はムッとしたものの、あらためてそれに賛同せざるを得なかった。「アトリエの客の目が高い」ことは、当時それとなく言い交わされていたことであったが、はじめてその客席に坐った彼も、そこに羨望を感じたのだ。
 芝居は、舞台と観客との協同作業であるとは、よく言われることだが、アトリエほどそれを感じさせてくれるところはない。これは前述したように、会員制であるから、古くから「文学座」の舞台になじんできた芝居通が多く、協同して良い舞台を育てようとする精神に充ちているからかもしれない。
 信濃町について書いていながら、思わず「文学座のアトリエ」について深入りしてしまったが、しようがない、私にとっての信濃町は、そういうところなのである。前述したように、線路の反対側には神宮の森があるものの、私はほとんどそこに足を踏み入れたことがないし、線路のこちら側には慶応病院があるが、私は病気らしい病気をしたことがないから、こちらのお世話にも、今のところなっていない。
 実はそこに何度か出入りをしている友人から、この病院の何階かに食堂があって、「そこはなかなかいいよ」と薦められたことがあるのだが、病院で飯を食う気もしないので、そこもまだ行ってみてない。田中澄江さんが、いつだったか、「私の骨が見事だってほめられたから、死んだら慶応病院に寄附することにしたのよ」と話しておられ、「そうなったら見に行ってね」と頼まれたことがあるのだが、嘘か本当かわからないまま、これもまだ行ってないのである。
 ただ、ここまで書いてひとつ思い出したことがある。その昔、まだあのあたりに都電が走っていたころ、「三大劇団を縫って走る都電がある」というのを聞いたことがある。今となっては、誰もそんなことは言わないが、当時「三大劇団」と言えば、「文学座」と「民芸」と「俳優座」のことだった。そして都電は、確か新宿を出て、四谷三丁目で右折し、門町の「文学座」を通り、神宮の森を抜けて、当時青山にあった「民芸」の前を通り、麻布の防衛庁の前を抜けて、六本木の「俳優座」を通り、これまた記憶するところでは、何処をどう通るのか、田町まで行く、というのである。
 私は乗ったことがないから、確かなことはわからない。都電もなくなったし、「三大劇団」という言い方もしなくなったから、これまた、改めて確かめてみる気にもならないのである。
(劇作家)







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