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評者◆矢部史郎+『来たるべき蜂起』翻訳委員会
群集のいだく意思のゆくえ――これまでどおりの「日本人」だと思ったら大間違いだということを知らしめてやろう
No.3020 ・ 2011年07月02日




 福島も仙台も首都圏も、もとどおりにはならない。「復興」は限定的だろう。チェルノブイリでは、数十万人が移住した。われわれが直面しているのは、それを上回る規模の難民たちの発生である。日本政府に特別な対応策があるわけでもない(現在のところウクライナ政府以下である)。死者とみずからの死を忘れることができるのならば、それはそれでよい。だが、難民たちは死んでいった者たちを忘れないだろう。
 社会がこの膨大な難民たちを統合することはありえないだろう。彼/彼女らは尺度を自在に操る者であり、そのような者としてあらざるをえない。けたはずれの距離・空間・時間をおおう汚染によって、想像力の尺度そのものがかわるだろう。近い将来、日本政府が国際法廷に引きずり出される日がくるはずである。
 東北・関東地域に暮らすひとびとにぜひ提唱したい。これから日記をつけよう。三月一一日から今日まで何があったか、忘れないうちに記録しておこう。その日、どこにいたか。何時から何時まで屋外にいたか。その日、テレビは何をつたえ、政府は何をいったか。できるかぎり詳細に記録しておこう。われわれには記録する責務があり、惑星規模の犯罪を訴追し審判をくだす使命がある。これまでどおりの「日本人」だと思ったら大間違いだということを知らしめてやろう。
 池上善彦によれば、われわれが生きることになるのは「新たな民衆運動」である(「今、破綻を来し始めた米国による冷戦下の〝心理戦略〟」『週刊金曜日』五月二〇日号)。戦後の廃墟のなかで、ひとびとは大量の詩を書いた(『戦後民衆精神史』青土社)。あるいは版画を彫り、それは五〇年代の「ルポルタージュ絵画」をめぐるリアリズム論争とも気脈をつうじていた(桂川寛『廃墟の前衛』一葉社)。第二の敗戦をむかえているともいえる今日、われわれの新しいリアリズムの主体は、尖筆や彫刻刀ではなく、ガイガーカウンターを手にして放射線量をはかることからはじまろうとしている。
 じっさい、六月二日に東京で開催されたクリラッド(CRIIRAD=放射能の調査・情報提供の独立委員会)による「素人による素人のための放射線測定講座」は、雨模様の平日の昼間だったにもかかわらず、会場に入りきらないほどの盛況ぶりだった。放射線については、サンプル抽出にもとづく「リスク・マネジメント」は意味をなさない。住居にせよ食品にせよ、もとめられているのは全量調査である。いわば群集による統治が行使されようとしているのであり、メトロポリスの心理地理学は塗りかえられていくだろう。
 同じことは、反原発デモについてもいえる。四月一〇日の高円寺につづいて、五月七日の渋谷も一万五千人以上の群集が出現した。そしてある参加者は「交通のじゃまになって警察の手をわずらわせないように、つぎからはコースを事前に知らせておけばいいのではないか」とツイートする。このナイーヴさを嗤うことはできないだろう。公安条例が制定されたのは、一九四八年の福井地震でデモが頻発した福井市である。以後、多くの自治体で同様の条例が採択されるが、現在の反原発デモの参加者にとっては、そうした条例による規制そのものが視野から消失し、デモは本来無届けでおこなわれるべきだという直観が集合的に回帰している。
 問われなければならないのは、こうした群集のいだく意思のゆくえである。資本や国家のロジックは、選別し、囲い込み、特定の記号体制に配置しようとする。だが、震災後、あらためて読み返されている山下文男の『津波てんでんこ』(新日本出版社)も示唆するように、新しい共同性のはじまりは、あらゆる社会的な統合のくびきからの離脱において想い描かれる。あるいは鈴木創士の近著『ひとりっきりの戦争機械』(青土社)をあげることもできるだろう。彼は中国のアーティスト蔡國強の「爆発」の美しさを語り、「だが、この爆発によってなにがほんとうに砕け散るのか? 無論、言うまでもない、それは根こそぎにされむき出しになったわれわれの記憶、時間と重力の幾何学なのだ」という。
 Chim↑Pomが渋谷駅の岡本太郎作品に福島原発のグラフィティーをつけくわえたことは偶然ではないだろう。すでに広島の原爆ドームの上空に、蔡國強とともに「爆発」をめぐるスカイライティングをおこなっていた(『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』河出書房新社)。原爆にせよ原発にせよ(この両者が一体のものであることを確認しておこう)、その爆発によって習慣的な記憶が「砕け散る」とき、よみがえってくるのは、ベルグソンが「純粋記憶」とよんだ過去そのものの潜在性である。もはや従来のやり方ではたちゆかないだろう。労働そのものが腐敗し、間隙から湧出するのは死者たちの「純粋記憶」である。だれもその現前を制御することはできない。ロベルト・ユンクの『原子力帝国』(社会思想社)を一瞥するだけで十分だろう。原発は国家や資本による統合を正当化する装置である。われわれの新しいリアリズムとは、この装置の破綻による現前の氾濫を生きることであり、記号体制のクラックを押しひろげ、抑圧された時を、全存在が各瞬間に問われる時を、喜びに満ちた怒りの叫びのなかで目覚めさせていくことである。
(海賊研究+『来たるべき蜂起』翻訳委員会)







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