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評者◆志村有弘
老人文学の数々に注目――千年に一度の大災害、東日本大震災・原発被害に慟哭する作品の数々。この悲痛な叫びに耳を傾けよ
No.3016 ・ 2011年06月04日




 三月十一日の東日本大震災は日本人を悲劇のどん底に陥れた。勝又浩(文芸評論家)は私に「見たくないのだが、やはりテレビのニュースを見てしまい、涙を流している」と語った。黒神直也(編集者)は「地獄とはこのことなんですね」とメールを送ってきた。地震・大津波・原発と、連続する大被害。命を失った人たちのご冥福を心から祈り、大きな打撃を受けた被災者に一日でも早く明るい光が照らすことを祈らずにはおられない。
 「COALSACK」第69号が震災の特集を組み、18人の人たちが詩やエッセイ等で悲惨な状況を綴っている。全てを紹介できないのが残念であるが、黒川純は詩「ほんとうのことに向きあわねば」と題し「高さあるものはすべて憎まれたか/瓦礫の世界がどこまでも果てない/一千年間、だれも見たことがない/海底から生まれた海鳴りがのしかかり/大地に根づいた生活をつぶし去った」と述べ、武藤ゆかりは長文詩「巨大地震遭遇記」の中で「どうか力を/あなた方の力を我らに与えよ」と叫ぶ。鈴木比佐雄は詩「薄磯の木片」で目の前の木片の下に今も死体が埋まっていることを述べ、その木片が海へ帰り、「数多の種」を乗せてこの地に流れ着き「数多の命を生み出すことを願う」と祈る。そして、若松丈太郎がエッセイ「原発難民ノート」で「危惧したことが現実になったいま、わたしの腸は煮えくりかえって、収まることがない」「この事態が、天災ではなく、人災であり企業災であるからだ」という激しい怒りの言葉を吐露する。こうした悲憤・祈りを我々は真摯に受け止めるべきだ。若松は四十余年にわたる警告文を一冊にまとめ、やむにやまれず『福島原発難民 南相馬市・一詩人の警告』(コールサック社)を急遽刊行したが、何もなければ出す必要はなかったはずだ。
 「くれない」第106号が、「祈り 東日本大震災」と題して、24人の歌人が被災者に祈りをこめて思いのたけを詠んでいる。玉城寛子の「どす黒き魔の手は伸びて街に迫る逃げてと叫ぶ映像に向き」、伊志嶺節子は「押し寄せる津波に流され壊されておもちゃのように沈みゆくこの世」と、まさにこの世の地獄を詠んでいる。寺崎孝子は詩「東北・関東巨大地震」(詩と眞實第743号)で、震災のすさまじさを綴り、「破壊の死の痛みに ひたすら 祈る」と記している。また、葉山修平は詩「美容院で」(あてのき第38号)で、「国難」という「大義名分」のもと「一つの方向に導」かれる危惧感を綴っている。
 小説では、遠矢敏彦の「薔薇の描線」(風の森第15号)を不思議な感覚で読んだ。主人公は「魂に穴」があいている。絵のモデルとして現われた女が作品に神秘的・幻想的な雰囲気を醸し出す。時は確かに流れているらしいのだが、主人公が体験したものは、あるいは幻覚の中での魂の遊泳であったものか。時にユーモアもあり、随所に漂う薔薇の香りが作品をミステリアスに仕上げている。人は日々、不確かで不安定な精神状態で生きているのであろう。そうしたことを考えさせられた。
 当然のことだが、老人を描いた作品が目についた。森岡久元の短編小説「別荘橋のできごと」(酩酊船第26号)が幻想と現実のはざまを往還する奇妙な作品。主人公の作田は七十二歳。高血圧症のためか二度意識を失った。タクシーに乗った時間の不可解さ。幻想の世界とはいえ、達者な文章で、ミステリー仕立ての雰囲気もある。作田が感じる「死の臭い」という言葉も印象的だ。
 川口啓史の「老櫻」(文藝軌道第14号)は、フリーライター中森が俳優後藤健と出会い、自分から声をかけた。後藤は来年は喜寿で、今は癌を患っているという。中森は『俳優の美学』という本の中の一章として後藤を書こうと思っている。往年の人気俳優とて、やがて年を取る。私の考え過ぎかも知れないが、後藤健、監督の岡田喜平のモデルの顔が推測され、短編の中にやりきれない悲愁を感じる。同じく「文藝軌道」掲載の高橋ひとみの「夜のレクイエム」は、有料老人ホームが舞台。主人公中川は、婚約者の父が経営するこのホームでケアマネとして働くことになった。痴呆症で徘徊する老女たち、早く死にたいと言う老女などが登場する。痴呆症の老女を見て、「長生きが幸せとは言えなくなる」とつぶやく小松ケアマネの言葉が辛い。
 通雅彦の「母を夢みる」(北方人第15号)の主人公閉伊三郎は、ケアハウス所属の女性からよく母の夢を見ると聞き、以後、母の夢を見るようになった。夢の中の母はいつも三郎に対して怒っている。三郎は東京に出て大工仕事で努力し家も持った。しかし父母は死に、妻も死に、今は一人である。戦後の貧しい少年時代も描かれ、親孝行をしないうちに母は他界した。母の怒った夢を見るのは、三郎の呵責の投影である。末尾の「腹を立てられるうちは、どうやらまだ生きられるらしい」という文章が心に残る。
 木匠葉の「茶髪女と、それから」(九州文學第535号)の主人公須古輝男は七十八歳。ケアハウスに入っているが、いつも周囲の人間を観察している。茶髪女とはケアハウスにいる八十九歳の女。輝男は「自分のように底辺をうごめいて生きて来た人間もあっていいんだ」と思っている。病気をかかえて不安な気持ちでいるものの、奇妙なユーモアが漂う。考えてみると、高齢化社会は益々進む。今後、「恍惚の人」ほど悲惨ではない、老人を描いた作品が増えてゆくだろう。今月は、孤愁・悲愁感ただよう老人文学花盛りということか。
 エッセイでは、岩谷征捷の「古井由吉『山躁賦』縁起」(境第23号)が、古典の投影を詳細に論じた労作。古井の『仮往生伝試文』についての指摘もまことに興味深い。盛厚三の「伊上凡骨研究余滴」(北方人第15号)も凡骨追跡の強い姿勢が感じられる。伯爵・神山宏の連載「明治の銀座風俗絵巻」(風の森第15号)は連載の五回目。明治初期の銀座を軸として、当時の日本の状況を克明に紹介する。困窮生活に喘ぐ歌舞伎役者、演劇界のめまぐるしい状況、高級品であったビールの製造・普及に努力した人たち、鹿鳴館の意義と浮沈、堺利彦・福地桜痴など明治期の文化人たちが次々と登場し、明治万華鏡の感がある。
 「COALSACK」第69号が磯村英樹と柳原省三、「じゅん文学」第67号が大谷史、「たきおん」第67号が木村つた江、「たまゆら」第82号が滝沢安子の追悼号。ご冥福をお祈りしたい。
(八洲学園大学客員教授)







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