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評者◆秋竜山
哲学の不可解な面白さ、の巻
No.3015 ・ 2011年05月28日
土屋賢二『あたらしい哲学入門――なぜ人間は八本足か?』(文藝春秋、本体一三三三円)の面白さは、テーマがマンガ的であるからだ。それも、ナンセンス・マンガの面白さとでもいうべきか。本のタイトルにあるように〈なぜ人間は八本足か?〉なんて、考えただけで、なぜなんだろうと思う。ここで、本書には、このよーに書いてありました!! なんて、いってしまうと、著者に叱られるだろう。「いっていいことと、悪いことがある」と、ね。
〈本書で扱う哲学の問題も、ふつうの哲学書の中では扱われない問題がほとんどである。取り上げる問題の大半は、わたしが作った問題である。(略)本書で扱う大部分の問題も解決も、わたしが独自に考えたものだと知ると、不安をおぼえる人もいるだろう。だが実際には、独自に考えたと言っても、わたしはいろいろ哲学者から大きい影響を受けており、作った問題も、解決の仕方も、古代ギリシャから続く正統的な哲学の伝統にのっとっていると思っている。とりわけ、ウィトゲンシュタインとアリストテレスの影響が大きい。実のところ、本書は、これらの哲学者ならどう考えるかを想像しながら考えた結果なのである。〉(まえがき) そして、本書は、お茶の水女子大学に在職していたときの全学向け講義「哲学」で話したことに手を入れたものである。――と、いう。本書で私が興味を持ったのは、やっぱり「時間」であった(本当は、どれも興味を持ち面白かったけどね。たとえば、/ロウソクの火は消えるとどこへ行くのか? なんて、ドキッとする面白さではないか。いわれてみれば、ハテ? いったいどこへ行くのか、行かないのか、である。空はなぜ青いのか? とか。「不思議」の客観的意味、とか。「本当の自分」の正体(自分探し)とか。「当てずっぽう」とは何か? とか。また沢山不思議な講義が続く)。で、時間に関してのことだが、二、三年前になるか、二歳だったか三歳だったか。私が孫に向かって、「凸凹ちゃん。いま何時?」と、いうと「一分」と、いうのであった。朝でも昼でも夜でも同じように聞いてみる。すると必ず「一分」と、答えた。何時何分というのでもない。ただ一分というだけ。私は、それを面白がって何回となく聞き、孫は繰りかえし同じことを答えた。そんなことがあったということであった。今だにわからないのは、なぜ、あの時孫は一分と答えたのだろうかということである。 〈哲学では「時間とは何か?」ということが問題になるんですけど、それも時間に不可解なところがあるように思えるからです。(略)たとえば時間を計るとき、時計の針を読みますよね。時計というものは空間の中にある物体です。一時間たつということをどうやって計っているかというと、実際には時計の針が動いた角度を計っています。空間的角度を計るんです。時計も角度も空間で、時間の要素はありませんよね。(略)実際に計っているのは空間ではないか。〉(本書より) そして、〈「時間の幅」という不可解〉なんて、ね。つまり、哲学とは不可解な面白さということかねえ。 |
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