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評者◆添田馨
「樹羅」の話(4)――夢時間における正午に位置していた「樹羅」
No.3014 ・ 2011年05月21日




(承前)“樹羅”が私に訪れたのは、4月も半ばを過ぎたあたり、震災後すでに1ヶ月を少し過ぎた頃だった。いつもそれは何の前触れもなく唐突にやって来る。思いがけずも二種類の“樹羅”が、私の夢のなかの蒼穹に、交互に現れたのだ。
 最初のは、艶めかしい大きめの花弁を付けた桃色の花を全体にあしらった、細かな樹枝の球状の集合体として現出した。満開の桜にどこか印象が似ていると感じられた。次のはもっと変わっていた。ちょうどバオバブの樹が、五葉松の盆栽のように幹を縦横にうねらせて、その先端部分にラフレシアのような巨大な熱帯系の花を冠した、どこか凶々しい感じのする未知の立体オブジェとして、それは空の中天にあった。
 いずれにも共通していたのは、それぞれが背後に光源としての太陽を隠していたことだ。なぜそうと分かったかといえば、それらの“樹羅”は、抜けるような青空をバックに、まばゆいばかりの放射状の後光を伴っていたからである。私はそれで、これらの“樹羅”が夢時間における正午に位置していると図らずも知ることになった。
 震災後最初の“樹羅”が正午の表象として自らを顕現させたことに、私は深い驚きを覚えた。同時に、それには深い意味が宿っていると直感した。なぜなら、古来、人間の精神活動が正午に位置するのは、何か大きな時代が終焉し、しかもまだ次にやって来るものの影すら見えない、ちょうど空白の境界感覚においてだからである。
 三月の終わり頃、私は仙台市若林区の被災の現場にいた。自分の実家がそちらにあったからだが、幸いなことに家屋にも身内にも大きな被害はなかった。しかし、仙台市の場合、平野部の海寄りを走る仙台東部道路が、ちょうど防潮堤の役割を果たし、津波がそこで止まったのだと聴いていた。天国と地獄の見かけ上の境界は、家からほんの数キロ先のところにあった。
(続)
(詩人・批評家)







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