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評者◆小野沢稔彦
「タイガーマスク待望論」を批判する――映画は、時代の闇を切開する方法としてあるのでは?
No.3013 ・ 2011年05月07日




 先頃「タイガーマスク」現象なる奇妙なブームが起こった。マスコミによって増幅された、この鼻持ちならないブームは、たちまちに良心的「日本人」の賛意を得、各地に次々と新しいタイガーを生み出し国民的盛り上がり(何の?)をみせた。この作為された現象の裡には、明らかに今日の出口なき閉塞状況を打破する――それも自分たちの力によってではなく――何か、特別な力と方向性を心待ちにする、この国の市民の、この時代に特有な心性と情況とが反映しているのではないだろうか。出でよ! タイガーマスク!
 本来この作られたタイガー待望状況に批判的な眼を向け、この時代の闇を切開する方法としてあるはずの〈映画〉もまた、むしろタイガーの出現を待望する方向に向かいつつあるのではないか。
 そのタイガー待望映画の一本『平成ジレンマ』(齊藤潤一監督)――テレビの地方局が作ったドキュメンタリーは、良心作であっても全国ネットされることがない、という理由で作られた――が、テレビ番組から衣替えされ「商業映画」となって公開された。あの戸塚ヨットスクールの後日談である。改めて説明するまでもなく、戸塚スクールは、世間が暗黙のうちに認知する「不良」どもの根性を叩き直し更生させるという、思い上がった独善的な思想を持つスクール主宰者の思想の下で長い間活動してきた。その彼の出所・現場復帰以後の、以前と変わらぬただただ無惨な行動を追い続けた本作品は、批判的視点を持たない奇妙な映画なのだ。しかも、彼は国を、教育を、憂うる国士らしいのだ。ここには、1あの傷害致死事件を生み、その主因となった暴力制裁と、2その制裁の内実を問わぬままに――更に、なぜ人は引きこもり、理由のない暴力に走るのかへの問いを放棄したまま――、制裁行為のみを一方的に断罪し、正義の味方を演じたマスコミの現実を問うことなく(制作者はその一人ではなかったのか)、3それらが複合的に作り出した、その総体としての現代の病理を切開せぬまま、この良心的映画は主宰者の復帰後を延々と――陰湿に続けられる日々の制裁行為を――記録するのだ。
 そしてこの現代の病理の解決法として映画は、病理を問うのではなく追いつめられた子供たち(実は半分以上は大人なのだが)の「受け入れ先」として、このスクールに期待するのである。建前上「体罰」(体罰とは何か)を否定した上で。しかし、ここにあるのは体罰以上の心的テロルが生む虚無の時空であり、主宰者の表面的には体罰を行使しないとする、鼻持ちならぬ独善的で小手先の(実に単純化された断定的な言語テロル)手法と言説に映画は同調するだけなのだ。それも、マスコミ的習性に倣って肯定も否定もせずに(クイズ番組ではない。あなたはどちらに軍配を上げるのか)「事実」を客観的に描きながら子供たちの更生施設はどこにあるのか、と居直るのである。しかし、マッチズムを体質とする男と、スクールという制度は別なものではない。こうして「正しい社会」の証言者として正義の味方(マスコミ)を自負する作り手は、この「再生」施設という偽善の「更生」施設を追認するのだ。
 断言しよう。受け入れ先なき「不良」人間の受け入れ先たるスクールこそは、実にこの社会の――私たちが無言の同意を与えた結果作り出した――〈収容所〉なのではないか。そしてこの国は今や、収容所列島と化そうとしており、このスクールこそ、その最先端のモデルではないのか。更にこの映画の一つの焦点。若い女性が、収容後数日にして絶望の涯に「自死」を敢行する。ここでは親も社会もスクールもなぜか、その自死の内実を問わず暗黙のうちに納得し、事を収め、この自死を手続き通りに処理しようと粛々とその現実を糊塗する儀式としての葬儀をカメラの前で営むのだ。表面上、誰もが納得し、おそらく「厄介払い」したことに安堵しつつ、三者はしめやかに追悼を行う。そしてマスコミも。収容所の行きつく先は「平安」な闇であり、死の儀式化なのだ。その時、我が制作者の目は自死の闇へと向かうのではなく(世間も家族も)、「顔を隠した」タイガーマスク(=スクールの主宰者)に自らの責任放棄をゆだね、その贖罪人としての役割を期待し、責任を回避し凭れかかるための虚像を求めているのだ。そして、この極めて都合の良いトリックスターの存在によって全ては清算されるのだ。しかし、トリックスターは常に両義的な存在であり、それが一面化される時、タイガーマスクはデーモンとなる。更にこうした収容所を待望する声は、この国を憂うる人々や学校・PTAによって後押しされ補強される。「平成ジレンマ」社会こそが、タイガーマスクを待ち望んでいる。そして、巨大マスコミはその心性を代行しようとしている。ポピュリズムとはそういうことだ。
 さて、タイガーマスク待望現象は、「北国新聞」と「富山新聞」とが制作した『さくら、さくら――サムライ化学者 高峰譲吉の生涯』(企画・監督市川徹)にも(またしても地方マスコミだ)一貫して貫徹されている。この映画は、ただ高峰の事蹟を時系列に並べただけの、彼の生と情況との関わりの意味をまったく問うこともない、何とも安易なお手軽構成によるテレビ歴史番組のような再現ドラマなのであり、それ以上のものではないのだ。テレビよりは多少金と時間をかけて装いは粉飾してあるけれど、この我が地方のヒーロー捜しによって生み出された無惨な物語――断っておくが、私は高峰を貶めているのではなく、映画を批判しているのだ――は、ただただ「ニッポン人の物語」として、常に道に外れることなく、大志を忘れず、前を向き努力を重ねるタイジンの生涯として高峰の物語を無惨に謳い上げる。更には「国境」を越えて咲いた美しき夫婦の物語。この「巨人」待望映画の出現は、今日のある情況を象徴していよう。
 NHK「プロジェクトX」が「昭和」の物語を立ち上げたように――近代政治中枢に人物のいない北陸としては――、それでは化学者として(化学は美しく正しい!?)、あるいは実業人として優れた人物をピックアップすることで、我が領国のヒーロー、ひいては日本のタイガーマスクを、映画は打ち立てようというのだ。タイトルから想像するにNHKも係わっているのだろうが「日本」のマスコミは一丸となって今「日本人」の物語=平成のジレンマの中でタイガーマスクを立ち上げようとしている。このように、劇映画を問わずドキュメンタリーを問わず「映画」が、タイガーマスクの出現を待望する時代となっていることを注視したいと思う。
(プロデューサー)







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