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評者◆たかとう匡子
文学者は逃げられない――多田智満子へのまなざしに好感(結城文「鏡像のゆらめき」、『櫻尺』)、「縮尺のない地図」(北川朱美、『文芸中部』)の屈折の仕方にも共感
No.3011 ・ 2011年04月23日
「ESコア」第20号は「現代短歌との闘争」特集号。加藤英彦「幻の筆者への覚え書き――実在の筆者から非在の筆者へ」を興味ぶかく読んだ。私は知らなかったが、第32回短歌研究新人賞を受賞した、モスクワ生まれ、オーストラリア在住と名告る十八歳の少女久木田真紀が、じつは実在の年配の男がつくったペンネームだったことを告げて、この久木田真紀という名の私とは誰かという問いを歌壇に投げかけたといい、「社会的に流通している〈私〉の呼称にいたっては何ほどの意味があるだろう。それは一人の作家の表皮ですらない。そこで、新しい〈私〉の創出が必要になる。文学的虚構の始まりである」という。ところで署名は人間の最小の単位。それを虚構(=フィクション)といっていいかどうか。作品だけ生き残る、それはそれでかまわないが、〈私〉の自覚、責任において書くところの署名性の意味はどうなるのだろう。おまけにこのばあいはモスクワ生まれ、オーストラリア在住、十八歳と略歴までつくっている。こうなるとペンネームの域を越えて詐称に近い。文学者は逃げられない。難しい問題であり、私はここでいきなり結論を出したいとは思わないが、〈私〉の問題を越えている気もする。
「VIKING」第721号の中尾務「VIKING 2――(十二)」(VIKING CLUB)は私の知人や名前を知るひとがたくさん出てきて懐かしくまた楽しく読んだ。私の住む神戸は「VIKING」発祥地であるが、富士正晴とわかれた「くろおぺす」への事情など緻密に資料で裏付けながら微に入り細に入り、追跡する。地味ではあるが必要な仕事であり、神戸という一地方にとじこめられるのではなく、こういう広いところでやってもらえるのがうれしい。 「櫻尺」第38号では結城文「鏡像のゆらめき――多田智満子試論」に注目。多田智満子が戦争期に疎開した愛知川流域の村を訪ねたことを枕に十冊の詩集について丹念に詩論を展開しており、私にとっても魅力的な詩人であっただけに引き込まれて読んだ。企画では「女性詩人による女性詩人論」ということになっているが、詩人論というより、表現、文体、作品論として一貫して書かれているのは、多田智満子の言葉のセンス、洗練されたシャープな詩の言葉、その良質のモダニズムの在処といったところを解析し、経験もしたかったのだろう。多田智満子へのあたたかいまなざしにも好感を持った。 「文芸中部」第86号(文芸中部の会)の北川朱美「縮尺のない地図」は知能に軽い障碍を持つ女の子の生と死を扱った小説。そんなこともあって両親が離婚し、母親とふたりで暮らしていたが、その母も突然失踪してしまい、叔母に引き取られて育った。成人してせっかく障害者枠で就職させてもらったのに、周囲の知らないうちに辞めさせられ、その一週間後、会社の屋上から転落死する。死後に恋人がいて、実は妊娠していたとか真実が明らかにされるが、構成もよく、テンポもよく、なかなかうまいと思った。女の子を死なせることで不幸な女のハッピーな生涯と言えなくもない。こういう屈折の仕方にも共感した。 「照葉樹」第10号(花書院)の水木怜「みつさんお手をどうぞ」は認知症のみつさんという母親と人一倍親孝行の一人息子とがどう向き合うかという現代の介護現場の深刻さも想起させる力作。母親は息子の顔を忘れていて、高校時代の友人と倒錯させている。そんな母親の、時に蘇る内面をとらえるためにアルバイトの青年を雇い、代理息子を演じてもらう。代理息子も自分の亡き母と重ねたり、息子は代理息子が母親に気に入られると嫉妬したり、複雑な人間心理をうまくとらえて、展開も見事。なかなか読み応えのある作品だと思った。 「エウメニデス Ⅱ」第39号の松尾真由美「もしくは騒がしい喜劇から」は硬質な抒情詩。十連の散文詩は連結しているようにみえるが、各連は自立している。うまく構成されていて、さすが定評ある詩人だと思った。刺激を受けた。 「ひょうたん」第43号(ひょうたん倶楽部)の絹川早苗「ささら さらさら ささめゆき」は「さ」音の語句をふんだんにとりいれて「ささめく ささめごと ささやいて//さらりと さっと さわっても//さわり魔?/ わたしにさわらないで!」とコミカルな軽みで現代人の内部にひそむエゴイズムをも風刺する。こんな詩ももっとあっていいだろう。 (詩人) |
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