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評者◆杉山文彦
研究者の立場を優先させた日中歴史共同研究の成果――日本社会に偏狭なナショナリズムからの速やかな卒業を促す
戦争を知らない国民のための日中歴史認識――『日中歴史共同研究〈近現代史〉』を読む
笠原十九司 編
No.3010 ・ 2011年04月16日




 本書は「書評論文集」とでもいうべき性格の書物であろうか。『日中歴史共同研究第一期報告書』が戦後史の部分を除く形で公表されたのは、2010年1月31日であった。長年日中間の歴史認識問題と取り組んできた笠原十九司氏の編による本書は、この『報告書』をめぐっての論評・座談会記録を集めたもので、日中双方の論説が集録されており、その中には共同研究の日本側座長北岡伸一、中国側座長歩平の両氏ほか『報告書』の執筆に参加した人によるものも一部含まれている。
 日中歴史共同研究は、小泉内閣時代に冷え切った日中関係の後を受けて2006年10月に訪中した安倍晋三首相と胡錦濤主席との合意によって提起され翌年12月から開始されたもので、その『報告書』は古代・中近世史と近現代史の二つの部分からなっている。本書は『報告書』のうち非公表あつかいとなった戦後史の部分を除いた近現代史部分を対象として論じた諸論からなっている。論説のしかたは執筆者によって様々であり、共同研究が行われるに至った背景、研究から公表に至る経過、公表後の日中両国メディアの論評、共同研究のあり方、歴史認識問題に対する両国政府の態度、さらには日中の研究方法論の相違など多方面にわたっている。したがって本書は、歴史認識問題がもつ様々な側面を理解するのに恰好のものとなっているといえよう。
 本書を通読して先ず思うことは、歴史研究の専門家と一般のメディアもしくは民衆との間の意識の乖離である。歴史認識問題としていつも取り上げられる、日本によるアジア植民地支配、南京大虐殺事件等の侵略・加害の歴史事件に関しては、それが日本による侵略であり加害であったとする基本認識においては、共同研究に参加した日中双方の研究者の間に対立はなかったことが、笠原氏や日中双方の座長であった北岡・歩両氏の論説によって明確に示されている。南京大虐殺の犠牲者数、日清戦争から盧溝橋事件・日中全面戦争に至る過程での個々の出来事の位置づけや背景の説明等々においては、双方の研究者に見解の相違があったが、基本的事実の存否及びその事実の根本的性格については、双方が共通した認識に立って共同研究が進められた。ところが、公表後の日本のメディアの反応は共通認識の側面よりも、南京事件の犠牲者数など双方の見解の異なる面を中心に取り上げ、日中間の溝を強調する傾向が強かった。この点に関し、本書の執筆者たちは共通して強い違和感を表明している。
 一方、この『報告書』は当初、日中平和条約調印30周年に当る2008年に公表される予定であったが、同年の四川大地震や北京オリンピックなどのため延期され、2010年に入って戦後史の部分を除外して公表された。この延期・除外はいずれも中国側の要請で行われたものであるが、この点について本書の中国側執筆者は言及を避けており、また日本側執筆者も具体的言及はせずに、中国国内での歴史認識問題をめぐる政府・学界・民間にまたがる複雑な事情を推察するにとどめている。このように日中双方ともに研究者とメディアもしくは民衆との間に、歴史認識問題をめぐってかなり大きな感覚の隔たりがあることが浮き彫りになる。また、これをめぐる両国の政治指導者のスタンスに問題があることが指摘されている。
 研究者であることよりもナショナリストであることを優先する学者でない限り、20世紀前半における日本の対アジア政策に侵略的性格を認めないわけにはいかない。これを侵略ではないと言うことは、辞書から侵略の語を削除せよと言うに等しい。日中歴史共同研究とほぼ同時期に行われた日韓歴史共同研究では、日本側委員の中にナショナリストの立場を優先する学者が含まれており、このため共同研究は感情的議論の応酬に終始したと伝えられている。これに比べれば日中歴史共同研究は、研究者の立場を優先する委員によって行われ、一定の成果を挙げたとするのが、本書の執筆者の共通した認識である。しかし、日本メディアの反応は それとは乖離したものであった。この問題については、笠原十九司氏の論説に詳しいが、そこには日本政府が一貫して採ってきた歴史認識問題に対する内外のダブルスタンダード、右翼の問答無用の行動主義と、それを消極的にせよ受け入れてしまいかねない日本社会の体質が大きな問題として浮かび上がってくる。
 国家を至上の共同体と考え、国際関係は対立もしくは敵対の関係であってもかまわないとするナショナリストの立場では日本社会が立ち行かないことは、今回の大震災で一層明白となった。四川大地震では日本から救援に行ったが、今回は韓国や中国から救援に駆けつけてもらっている。今後も多くの国の協力を仰がねばならぬであろう。日本社会は偏狭なナショナリズムから速やかに卒業しなければならない。長い人類の歴史でナショナリズムの歴史は、長く見ても高々400年。歴史とは国家の歴史だけを言うのではない。新たな歴史のために日中歴史共同研究の今後の発展にエールを送りたい。
(東海大学教授/中国近代思想史・日中関係史)







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