書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆内藤千珠子
この先の時間を生き続けるための想像力――越境の物語的意義を、しなやかに描き抜いた佳品「アマリリスの家」(朝比奈あすか、『すばる』)
No.3010 ・ 2011年04月16日




 日常と非日常との境界こそ、文学の言葉が物語の場として描き続けてきたものだった。日常の世界が崩壊した現在、多くの人々に、日常が非日常と化した現実が強いられている。小説は必ずしも、直接的な有用性を発揮するメディアではないし、出来事に対する具体的な解答を用意する言説でもないから、小説に書かれる世界像がいますぐに一変するとは思わない。だからこそ、小説の言葉がすでに描いていた境界の風景から、この先の時間を生き続けるための想像力を探ってみたい。
 朝比奈あすか「アマリリスの家」(すばる)。まずはこの小説に立ち現れる恐怖と痛みに焦点を合わせて考えてみる。物語は、祖母の介護施設を探すために、語り手が都内から一族が集まった故郷の静岡へと移動することから動き出す。「わたし」はネイリストとしての仕事がようやく軌道に乗ったところで、「人生初の有名人顧客」、原先生のことがつねに気にかかる。銀座にクリニックを持つこの女医との関係が、自分の職業的未来を左右するという思いに漠然ととらわれているからだ。
 介護施設を見学した語り手は、死に連なった老人たちの生々しい姿に、恐怖で身体をこわばらせる。だが彼女は一方で、爪が「死細胞」でできていることを象徴的に語り、「わたしは体の中の死んでいる部分を目いっぱい可愛くしようとしている」と認識する人物でもある。介護施設では「心のケアの一環」として行われるソシオエステに強く心を動かされ、自分と地続きの仕事だとも思うのだ。
 両義性を描いた本作のなかで最も印象的なのは、闇の中に鳴り響く蛙の声を叙述した一場面である。都会では聞かれないような太い低音の合唱は、幼い甥を怖がらせ、語り手自身の即物的怯えを誘発する。そして彼女は「濃く塗りつぶされた闇」の奥に、原発の助成金で建てられた、UFO型ドームの輪郭を透かし見る。地元にとっては不要と思しきこの施設について、父親は「田舎の不思議」と説明するのだが、彼女は自分の出身地がおかれた状況について深く考えることはしない。「面倒くさいし、関係ないから」。「見て見ぬふりで東京に帰ってゆくわたしみたいな人間たちが、土地をゆっくりと朽ちさせてゆくのかもしれないと、うっすら感じている」。実際、都市的な生活が地方の原発に支えられてきたその構造は、不可視にされてきた。蛙の声への恐怖は、不可視にされたものへの恐怖を暗示せずにはいないだろう。両義性をもった語り手の思考停止を通して、小説はそれをゆっくりと、読者の目に見えるものへと変えてゆく。
 祖母の愛情表現を昔から当たり前のように受け流し、時にそれを嫌悪さえしてきた「わたし」は、この帰郷体験によって、祖母を自分の領域から切り離し、直に関わろうとしてこなかった無責任な自分に思い当たる。気づくことは、痛むことだ。その痛みの感覚が読者にもまた流れ込む。彼女は、銀座が好きで、美しいものに憧れをもった祖母を、原先生のいる銀座へ連れて行く。それは、日常の中で、そこにあるのに見ることさえしなかった境界を発見し、境界線の暴力を飛び越える行為にほかならない。恐怖と痛みをつなぐ風景は、見えなくされた負の場所を開く。関係性を見つめ、その恐怖が「わたし」と地続きであるという認識へと踏み越えることが、物語の最後に、いとおしさの感覚を呼び起こす。越境の物語的意義を、しなやかに描き抜いた佳品である。
 田山朔美「神さま」(文學界)の主人公が体験するのは、海外出張中の夫が意識不明の重態だという知らせを受け、急ぎ現地に向かうという出来事である。日常は一瞬にして非日常にすりかわり、その非日常は重たく持続する。彼女には宗教組織で熱心に活動する両親と決別した過去があり、現地ではクリスチャンの女性から親切を受ける。信仰に身を委ねることはとてもできない。それでも、信じること、祈ることとは何か。組み合わせた手をどこに向け、何に祈ったらよいのか。そうした問いを抱いた主人公が、作中で直接的な答えを獲得するわけではない。それでも、彼女の祈りの周辺に、さまざまな距離をもった人々が結びあわせられていくことは確かである。日常の向こう側には、そうした種類のつながりが見えているのだ。
 二〇〇一年九月一一日に至る十日余りを扱った宮沢章夫「ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット第三集」(新潮)では、地下鉄サリン事件、阪神淡路大震災、歌舞伎町ビル火災といった集団的記憶を背景として、記憶と現実の境界線が描かれる。そこに描かれた物語に、緻密な抽象度をもって記憶と現実が逢着した次元を構成した奥泉光「Metamorphosis」(すばる)を参照すると、脆弱な現実がいつでも非日常と接しあっていることのもつ積極的な可能性が読み取り可能となるだろう。小説の言葉は非日常的な日常を生きる感性を紡ぎ続けている。
(文芸批評)







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約