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評者◆杉本真維子
コールセンターの幽霊
No.3006 ・ 2011年03月19日




 「そうですか↓さようでございますか/わかりました↓かしこまりました」
 小さな病院の待合室で「ビジネス用語辞典」に目がとまり、暇つぶしにめくっていた。そのとき、この二つに言い方は、幾度となく耳にしたことはあっても、自分では一度も口にしたことがない気がして、小声でちょっとだけ言ってみた。――「さようでございますか」。
 なぜか不思議と、私のこころの窪みに、この一言が転がりこんできた。機会があったら遣ってみたいとさえ思ったが、職業的に絞り込んだとしても、かなり限定的な言葉だ。コンビニの店員さんが、こう言ったらちょっと驚くし、編集者からの電話に、私がこう返答したら、間違いなく引かれるだろう。そんなふうに思っていたら、ある日、保険会社のコールセンターとの会話で、私はこう返答していた。「さようでございますか。」
 一瞬、受話器をとおして、不気味な空気があらわれた。客である私が、こんな言葉を遣ってしまうと、それだけで互いの関係性がぶれてしまうようだ。はあ、へえ、そう、など、緩んだ話し方をしたほうが、むしろコールセンターと客という境界線がはっきりと引かれ、その場に必要なものが、つくられている、という気がした。
 けれども、そう、は、さよう(然様・左様)であるのだから、この小さな出来事は、文語が私のなかで生きていることの証とも思えた。近年、文語は消えかけているという声もあるが、そんなことは全然ない。何かのスイッチを押せば、いつでも自分の言葉として活動しはじめる予感を、身体の潜伏として、生々しくかんじることになった。
 だからといって、普通の会話で「さようでございますか」を平然と遣えるかといえば、そんな自信はないし、そういう世の中にはなっていない。目上の詩人に、大真面目に遣ったとしても、人によっては慇懃無礼だと怒られそうだ。そんな抑圧のなかでも、なぜか電話に限っては、つい口に出そうになるのだ。それはたぶん、電話で耳にする機会が多いからで、とたんに「電話」というものが、日常とはかけ離れた特有の世界として、ぽっこりと浮き立ってきた。
 電話で話しているとき、私はどこにいるのだろう。電話中の人のまなざしが、どこでもない場所を浮遊しているようでちょっと怖いのは、口語体以前の遠い時代まで、その人の無意識が旅をしているからだろうか。また、姿が見えない分だけ、それを補填する、強度ある力が、声にはあてがわれているはずで、その力の正体を、私は知りたくなった。電話じゃわからない、会って話さなくては伝わらない、よく言われることだが、一方で、電話の声でなければ、受け取れない何かが、きっとある。
 幽霊と話がしたい。唐突にそう思った。電話の相手が本当はどこにいるのか、その真実を知ることはできないのだから、その声の主の実在だって、一度くらい疑ってみてもいい。
 たとえば「○○さんはこの電話をどこで受けているのですか?」と聞いてみると、「誠に申し訳ありません。受信場所についてはお答え致しかねます」とコールセンターの人は言う。とたんに、はっと禁忌にでも触れたかのように、なぜ? という強い疑問さえ、目の前の拒絶に砕かれて消えていく。まるで遠い昔に交わした、暗黙の約束を思い出したかのような、その従順な自分の受容を見つめていると、私こそがだんだんと、幽霊になっていくようだ。
(詩人)







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