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評者◆秋竜山
何も考えない鬼ごっこ、の巻
No.3005 ・ 2011年03月12日




 木村紀子『日本語の深層――ことばの由来、心身のむかし』(平凡社新書、本体七六〇円)は、「原始日本語のおもかげ」姉妹編。本書、七章に「オニごっこ」がある。今の子供は「鬼ごっこ」をするだろうか。私たちの子共の頃(昭和二十年代後半)には、遊びの代表のようなものであった。
 〈ジャンケン等で鬼役の子を定め、他の子は鬼に捕まらないように逃げ回る、鬼に捕まった子は、鬼役を交替する、といった小さい子にもすぐできる単純な遊びである。〉〈同様に「隠れんぼ」というのも、誰でも皆知っている遊びで、やはり一人の鬼役を定めるところから遊びが始まる。〉(本書より)
 本書で述べられているように、〈遊び仲間の中で、やや小さい子や体力の弱い子が鬼に当たると、なかなか鬼役から離れられないことがある。普通鬼は一人、その他は大勢で仲間を成して対峙する。鬼は、いわば一人ぼっちで仲間はずれになった者である。小さい子など、あまりにいつまでも鬼のままだと、しだいに辛くみじめな思いに苛まれ、泣き出しそうにもなる。〉というザンコクな遊びでもあった。いつまでたっても鬼のままの子。大勢でその子をかわいそうだとは思わない。むしろ面白がっていた。
 〈鬼役から解放されて仲間に戻った時の安堵感とともに、幼時に体験したそうした感覚は、成長してもどこか心の根に残っていて、辛い仲間はずれは出さない、よき社会性も育まれていたのではないだろうか。〉(本書より)
 鬼役は誰か一人相手をつかまえると、その鬼役から解放される。つかまった子は今度は鬼になって、つかまえようと大勢の誰かを追いかけまわす。つかまったら鬼になってしまう、という皆、同じような立場にあるから、鬼の子に同情などせず、面白がって遊びに興じられたのだ。ところが、である。それをみていた母親。半分泣きながら鬼役をやらされている我が子をみて、ついに堪えきれなくなり、鬼役の我が子にむかって、「そんな鬼なんかになることはないんだから、サッ!! 帰ろう」と、我が子の手をつかみ引っぱった。鬼がいなくなってしまった。仲間たちはポカーンとしていた。あらためて別の鬼を決めることもなく、その遊びは終わり、別の遊びにきりかえたのだった。本来なら、大勢の仲間たちは「親の出る幕ではない」と思うところだろう。ところが、私もふくめて仲間たちは誰も、そのように思っていなかったようであった。では何を思ったかというと、何も思わなかったというのが実感だろう。そして、鬼役であった子も親に強引に手を引っぱられて家へ帰っていく時、何も思わなかった。そして、母親も「お前がノロマだから鬼なんかにさせられてしまうんだ」と、叱ることもなかった。そんな何でもなかった風景であったが、自分が大人になり、私は父親となるわけだが、そんな鬼役の自分の子を目の前にした時、いったいどのような態度を子供たちの前でしめすだろうかと考えて、あの子の母親のような態度をとるだろうか。色々考えてみたが、わからない。もしかすると、見て見ぬふりをしていたかもしれない。だからといって、見すてるようにその場を立ち去ることはできないだろう。鬼になるわけにはいかないいかない。







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