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評者◆神山睦美
悪と暴力の試練を受け入れて、何度でもかけらのような抵抗を(最終回)
No.3003 ・ 2011年02月26日




 作家は、ホールデンの分身ともいうべき青年に対して、「気取った苦悩ですね。僕は、あまり同情してはいないんですよ」と答え、「いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね」と述べたうえで、「マタイ十章―二八、『身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ』」「このイエスの言に、霹靂を感ずることが出来たら、君の幻聴は止む筈です」と言います。
 加藤さんは、このイエスの言葉を「へなちょこの若者の悩み」を一喝する「強い倫理」の言葉と受け取って、「ここにはある不明さがある」と述べています。それは、ある倫理の問いに対していつもそれより弱い倫理で答える太宰とは思われない答え方であると言って、ここには太宰の戦争の死者に対する哀悼の思いが裏打ちされているのだが、にもかかわらずこの生きて帰ってきた若者の白けた「苦悩」に、どのような意味でも強い倫理によって応接することをしないというところに、戦争の死者への連帯、「自分を小さな雑魚の群れに変え、かけらのようなものにする」「ちゃらんぽらんな抵抗」といったことがのぞまれるのではないかと言います。
 ここには、どのような批判にさらされようと決して動ずることのない立場が表明されているということができます。それこそが連合国のもたらした無条件降伏を、有無をいわせぬ強権的政策とみなし、戦後のこの国の民主主義を原爆という未曾有の暴力によってもたらされた民主主義とみなす加藤さんの主張の根拠になるものということができます。
 しかし、このゲヘナの言葉を述べるマタイのイエスとは、いったい何者なのでしょう。隣人への愛を語り、無償の贈与を実践したイエスにはまったく似つかわしくない。たとえば自分がやって来たのは、地に平和をもたらすためと思ってはならない、平和ではなく、剣をもたらすために来たのだと語るイエス、さらには、敵対するパリサイ派の者どもを前に、災いなるかな、偽善の律法学者、パリサイ人たち、お前たちは白く塗りたる墓に似ている、外は美しく見えても、内は死人の骨やさまざまの穢れで満ちている、蛇よ、蝮の一族よと呪詛の言葉を投げつけずにいないイエス。
 それは、一人の人間の特殊な不幸への共苦を内に秘めて、小さくうずくまるあの襤褸の人とはとても思えません。むしろこの過激なイエスこそが、「で、おまえがあれなのか? あれなのか? 答えなくともよい、黙っていなさい。第一、おまえに何が話せるという?」といって、絶対的多数の人間への同情を決して枯らそうとしない大審問官ではないかと思われるのです。
 すると、ここに起こっているのはどういうことなのか。大審問官の決して過つことのない「強い倫理」と、襤褸の人の絶対受動ともいうべき「か細い倫理」とが対位をなすということではありませんか。そのように、有無をいわせぬ強権的政策と永遠平和へのか細い希求との矛盾、アンチノミーを通して、柄谷さんのいう世界共和国は望み見られるのではないか。そのための諸国家連邦が、諸国家間の戦争を通してしか形成されることがないとするならば、そのくりかえされる悪と暴力の試練を全否定するのではなく、それを受け入れたうえで、息絶え絶えの存在としてそれに何度でもかけらのような抵抗をおこなう、そのことこそが、世界共和国の存立そのものを根底から鍛えあげるのではないでしょうか。
(文芸批評)
(了)







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