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評者◆内藤千珠子
理不尽な敗北感を手放すための契機――時間軸と視点を不思議なバランスで織り込んだ「距離、必需品」(岡田利規、『群像』)の興味深い視点
No.3003 ・ 2011年02月26日




 男性を階級的に分断する境界を問題化した小説のなかには、傷を受けた男性たちの喪失感が蔓延しているようだ。おまえが奪われてきたものを奪い返せ、というメッセージに巻き込まれて、強盗の相棒に選ばれてしまうのは、桜井鈴茂「サンクチュアリ」(すばる)の語り手である。音楽業界で挫折し、スーパーのバイトでぎりぎりの生活をしている「おれ」は、少年時代には馬鹿にしていたような小人物にさえ追いつけない現在の自分を客観的にまなざしつつ、こうなるはずではなかった、という乾いた呻きを埋め込んで、損なわれたアイデンティティをめぐる直截的なストーリーを紡ぎ出す。あるいは、白岩玄「傍観者」(文藝)の語り手は、フィギュア作家を騙って、ある女性を盗視し続けた自分の罪を告白する引きこもりの青年である。架空の「あなた」に向けて書かれる書簡体小説のなかには、誰かと関わりをもちたいという悲痛な思いが、あてもなく書き綴られている。
 木村友祐「おかもんめら」(すばる)の男性主人公は、漁業権放棄で海を追われることになった、東京湾の漁師を父にもつ。印刷会社の営業の仕事をしながら日々を無難に過ごす彼は、連れ合いの実家とは距離を置いている。石油会社の重役まで務めた義父も階級意識の強い義母も、娘の夫を見下しているのが明らかだからだ。だが、就職の決まらない甥の件で初めて義父に頼み事をしようとした際、屈辱的な体験を強いられることになる。「持てる人間」の典型である義父と、奪われた側にある父や主人公の対立に、海をめぐる記憶が重ねられるこの佳品では、主人公が自らを含む「陸者」の無自覚な態度が東京の海を見殺しにしたのではないか、と自問する。ラストシーンには、主人公が釣り上げたメスのフグの猛毒のイメージと、「陸者ども」という呟きと、少年時代の喧嘩で傷を受けた「右耳の欠けたところ」という記号が印象的にかけあわされ、理不尽に奪われたものに対し、毒を含んだ意志をぶつけることから始まる世界像を積極的に読み取ることができそうだ。
 こうしたテクストの傍らには、従来通り、ホモソーシャルな男性同士の絆やそのヴァリエーションを描いた物語群も量産されてはいるのだが、たとえば辻井喬「比良の青春」(文學界)における、父の友人を媒介にして回復される父と息子の絆だとか、古川日出男「疾風怒濤」(新潮)が示す、魅力や能力をもった男同士が連帯してゆくといった構図からこぼれ落ちる声を拾うための物語形式を求めて、小説の言葉は葛藤しているようにみえる。
 だが、気になるのは、傷ついた男性たちの抱えた欠如の感覚が死角を携えていることである。彼らは一様に孤独なままで、他者とつながる回路は閉ざされている。その上、かつての男性同士の物語と同様に、無意識のうちに、女性に象徴される他者を排除するという構図が保たれている。喪失感や劣等感は排除の力学にこそ起因するのだから、従来の構図を補強してしまっては、出口は見つからないままだろう。
 他者を閉じ込める死角を開くためには、喪失の感覚を別の角度から眺める必要がありそうだ。赤染晶子「WANTED!! かい人21面相」(文學界)には、互いの間にある優劣を序列に置き換えない女性同士の友情が描かれる。バトン部でいつもレギュラーになる友人のバトンは「抜群にきれい」だが、補欠に課される「マズルカステップ」の練習において、「わたし」は誰にも負けない自信がある。万年補欠であっても、「わたしはマズルカステップのカリスマ」なのだ。語り手と友人の間には、才能の差も、対立もあるが、互いの自負を認める感性が二人の間に友情を生み出している。勝ち負けが露わになる瞬間は連続的に訪れるが、負けることは「わたし」を損なわない。
 時間軸と視点を不思議なバランスで織り込んだ、岡田利規「距離、必需品」(群像)が構成する視点もまた興味深い。仕事柄、飛行機で移動する自由をもつ「彼」と、「いつも日本の、この家」に取り残される「わたし」の間の非対称を描き出すこの短篇は、特権的な契機をもった「彼」の無神経な傲慢に耐え難い思いをする「わたし」の側から語り起こされる。「わたしたち」「わたし」「彼」という主語が入り交じるなかで、「わたし」と「彼」は一人称と三人称を示す記号でありながら、ともに視点人物としてその認識が同等に描かれるため、二人の視点は溶け混じり、テクスト上には複眼的な視野が構成される。「わたし」の苛立ちに、「彼」はいつでも遅れて気がつく。そしてそのことを「わたしたち」は知っている。自分の立ち位置からは見えないはずの他者の視点に配慮することは簡単ではない。遅れて気がつくことの断層に視線をあわせるとき、奪われたという理不尽な敗北感を手放すための契機が発生しているのかもしれない。
(文芸批評)







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