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評者◆秋竜山
シュルレアリスム体験とは、の巻
No.3002 ・ 2011年02月19日




 酒井健『シュルレアリムス――終わりなき革命』(中公新書、本体八四〇円)を、読む。シュルレアリスムとは超現実主義のことである、という。超現実とは何か。つまり、今風でいえば、「チョー現実」ということになるのか。まず、超現実なるものがわからなければならない。わからなくして、シュルレアリスムがわかったなどとはありえないはずだ。
 〈ブルトンは、「超現実」を、「絶対的な現実」あるいは「至高の現実」とみなしていた。さらにヘーゲルの美学の影響から「観念」(イデー)ともみなしていた。この捉え方は誤解を招く。「超現実」はけっしてキリスト教神のように人間界を超越した唯一絶対の観念のことではない。「超現実」は一つに限定されるものではなく、人間を超えて存在するものでもない。「超現実」は人間の体験とともにある。「超現実」は、あらかじめ特定することのできない未知の、そして多様な体験とともに生じる何ものかだ。予期せぬ場所で、予期せぬときに、いろいろな衝撃性、いろいろな異常さとして人の感覚に訴えかけてくる何ものかなのである。〉(本書より)
 なんだ、超現実とは、そーいうものであったのか。それでわかった。それでシュルレアリスムというものがわかった!! などと、いうものでもない。シュルレアリスムの本質を知るには、そのための専門的知識を得なくてはならない(それがメンドウなのである)。専門的知識を得るということは、よっぽど興味がなくてはついていけないだろう。(それをいっては、おしまいよ!!)だろう。本書で、面白かった、というか、これもシュルレアリスムの作品の一つかと思ってしまったのは、バタイユのエピソードである。
 〈バタイユは、この当時のある晩、サン=ジェルマン=デ=プレの界隈で歩行中に笑いの衝動に見舞われ、この「不可能なもの」を体験した。(バタイユは「超現実」とは呼ばず、「不可能なもの」と呼んだ。)そのころ彼はブルジョワ風に持ち手が竹でできた傘を携行していたが、その夜は雨も降らないのに、この傘を広げて歩いていた。そして、フール通りを横切る段になって、突如笑いの衝動に駆られ、大笑いをし、「不可能なもの」に出会い、その傘で身を覆った。〉〈近代都市のなかで、雨も降らないのに傘をさして歩いている男は異様に見える。ましてや、通りの横断中に笑い出し、恍惚として傘で身を隠し出したとなると、この男はもう変人か狂人に思われてしまうだろう。〉(本書より)
 バタイユは「内的体験」の中で〈そしてこのとき同時に出くわした《不可能なもの》が、私の頭のなかで爆発したということだ。〉と述べている。天気のよい日に傘をさして歩いていたことと、突然の笑いと、関係があるのか。もし傘をささず、ただ横断中に笑い出したとしたら、どーなるのか。傘をさしていたことに意味があるのか。私は自分のマンガの中で、無人島の一人の男が突然笑い出したというのを描いたが、タイトルは「思い出し笑い」だった。もしかすると、「思い出し笑い」というのは、シュルレアリスムなのかもしれない。シュルレアリスムを体験したかったら思い出し笑いをすればよい。それが、むずかしいのだ。
連載第1095回







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