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評者◆神山睦美
背反するものの遊動運動が刻印されている諸国家連邦と世界共和国
No.3002 ・ 2011年02月19日




 一方において、イクナートン王は、神への愛と隣人への愛を説くことによって、一人の人間の特殊性への共苦を決して絶やすことがありませんでした。モーセが受け継いだのは、そこにみとめられる対位にほかなりません。それはシナイ山において十の戒めを授ける統治権力者としてのモーセと、それにもかかわらず無償の贈与としての愛について語らずにいられなかったがために、父殺しの憂き目にあったモーセにおいてあらわれているといえます。
 『世界史の構造』は、このことを「普遍宗教における神の超越性は、世界帝国=世界神の超越性とは異なり、後者を否定するものとして出てきた」という言葉であらわします。あるいは「普遍宗教は特殊性を否定することによって普遍的なのではない。むしろ、それは普遍性と特殊性の矛盾を絶えず意識しつつあることによって普遍的なのである」という言葉でいいます。これを大審問官の同情とイエスの共苦のアンチノミーとして受け取るならば、絶対的多数の普遍性と一人の人間の特殊性とは決して背反するものではないということになります。むしろ、そこにあらわれる矛盾や二律背反を絶えず意識することによって、真に普遍的たりうるのです。
 メシアとしてのイエスとは、幾度でも死に絶えることによって甦るこの普遍性であるといっていいでしょう。それは、たんにキリスト教においてのみいえることではなく、イスラム教でも、仏教でもいえることです。柄谷さんはそのことを、「預言者ムハンマドがもたらしたのは、ユダヤ教やキリスト教において失われた遊牧民的な互酬的共同体を、あらためて回復しようとする運動である」といい、さらに「仏陀がおこなったのは、一言でいえば、先行する宗教の脱構築であ」り「仏陀の教団が『共産主義』的な遊動的集団であったことはいうまでもない」といいます。
 このような言葉に接すると、あらためてウェーバーやヤスパースやアレントといった思想のなかに生きていたものが、ようやくにしてこの国においてかたちを取るにいたったと思われてきます。それは、たとえば戦後の小林秀雄の思想のなかに萌芽のようにあらわれたものということができます。
 ランボーやゴッホのなかにメシアとしてのイエスの影を読み取る小林は、一方において、釈迦の諸行無常の思想に「無我の法」をみます。それは釈迦を少しも安心させるものではなく、むしろそこに「人間どもを容赦なく焼き尽くす火」を見ていたのであって、そこで釈迦は、「進んで火に焼かれる他、これに対するどんな態度も迷いである」と決意したといいます。このような言辞を弄することによって、小林が見据えていたものを、大審問官のアンチノミーに象徴させることは決して的外れではないと思われるのです。
 それは、柄谷さんのいうアソシエーションの根本的な動因となるものといってもいいでしょう。『世界史の構造』がどんなに普遍史の試みという側面を打ち出していようと、この矛盾や二律背反に進んで焼き尽くされようという決意を内在させていないならば、結局は二番煎じに終わるほかはない。そのことは、とりわけ第四部「現在と未来」の第二章「世界共和国へ」においてはっきりと表明されています。
 たとえば、柄谷さんの提起するアソシエーションが「地域通貨」や「協同組合」を通して、資本主義を脱却しようとする運動と解されることに対して、どのような態度を取ることができるのかという問題をたててみましょう。柄谷さん自身、このことに関して資本の自己増殖を止めるためには、非資本主義的な経済圏が広範に存在することが必要条件であるという立場を明らかにします。しかし、アソシエーションというものを、既成の経済圏の脱構築として、さらには遊牧民的な互酬的共同体の回復運動に力点を置いてとらえるならば、必ずしも「地域通貨」や「協同組合」を媒介にするにはおよばないということになります。それは、仏陀の集団が、共産主義的な遊動運動を進めていったように、背反するもののあくなき運動形態にその本質があるといえるからです。
 これを、「世界共和国」の章ではカントの永遠平和の思想に託して、次のように述べられています。人間のなかの「反社会的社会性」は、永遠平和のための国家連合によってしか、のりこえることはできない。それは、ホッブズが、「万人による闘争状態」をのりこえるために暴力を独占するリヴァイアサンとしての国家を想定したようにではない。ホッブズのリヴァイアサンは、世界国家としての主権者を想定するのだが、カントはそこに、諸国家間の戦争を通して形成された諸国家連邦を想定する。そして、世界共和国へといたる道は、この諸国家連邦の方向にあるとかんがえたのである、と。
 このような柄谷さんの構想はまったく疑いの余地のないものといえるのですが、それでもなお、ここでいわれる諸国家連邦と世界共和国には、背反するものの遊動運動が刻印されているといいたいところがあります。それは、ホッブズにおける暴力を独占する主権国家の存在を決して否定するものではなく、むしろ、そういう権力やヘゲモニーとの対位を通して、絶えざる遊動と脱構築がおこなわれていくのであるといえます。そして、この贈与と対抗贈与のあくなき運動形態を推し進めるモメントとなるものこそ、メシアとしてのイエスにおける「無償の贈与」であり、釈迦の「無我の法」のなかにかいまみられる「人間どもを容赦なく焼き尽くす火」ではないかと思われるのです。
 加藤さんの『敗戦後論』のなかに、『ライ麦畑でつかまえて』におけるホールデンのちゃらんぽらんな抵抗について述べたくだりにもまして忘れがたい一節があります。それは、太宰治の『トカトントン』について述べた言葉なのですが、戦争が終わって、戦地から帰ってきた青年の、何かに本気になろうとすると憑物が落ちたように「トカトントン」という音が聞こえてきて、白々しい気持ちになってしまうという悩みに、作中の太宰らしい作家が答える場面にかかわります。
(文芸批評)
――つづく







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