書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆阿木津英
文学の根底――われ兵たりき人を殺しき――『川口常孝全歌集』(本体八〇〇〇円、砂子屋書房)
No.3001 ・ 2011年02月12日




 昨秋刊行された『川口常孝全歌集』(砂子屋書房)について、小高賢が『かりん』一月号に「ドキュメントの力――『兵たりき』から考えること」と題する評論を書いている。
 川口常孝は、大正八年生れ、第一回学徒出陣によって満州・北支を転戦、病を得て内地送還され、広島原爆に遭う。大学に職を得て後半生を過ごし、難病を患った七十三歳のとき、戦争の記憶をまとめた歌集『兵たりき』を上梓、平成十三年に没した。
 〈嘔吐する大便洩らす兵もいて突撃の命待つなり壕に〉〈強姦をせざりし者は並ばされビンタを受けぬわが眼鏡飛ぶ〉など、小高はドキュメントタッチの戦場の歌に深い衝撃を受けつつ、「こころ動かされるのは、作者のその思いの迫力なのだろう」と述べる。かえりみて「現代短歌の技術は格段に高くなっている」が、「どうしても歌わなければならないという核」ははるかに衰弱している、とも指摘する。
 そのとおりだと思う。さらに言うなら、歌集後半部の、苛酷な体験をのちの日々に顧み、反芻し、いま生きている現実にいかに位置づけ返すか、その駆り立てられるような自省の力に、わたしはいっそうこころを動かされる。ここには文学の根底がある。

燕飛ぶ空を仰ぎて立ち尽くすわれ兵たりき人を殺しき

 「渇を癒すと」と題する「老いの一人の胸深く宿る悲しみ」をうたった長歌も忘れがたい。それは長い銃撃戦の後のこと。ある兵はよろめきながら草の葉をむさぼり、ある兵は敵の遺棄死体の太腿の肉を抉って唾液も出ない喉に落とす。もう一人の兵と「われ」は水を欲してある家に入った。そこには乳飲み子を抱いた若い女がいた。水桶に水は無い。崩れこんでうち臥していたところ、赤子の泣声が聞こえる。ふと同行の兵は銃も帯剣も脱ぎ捨て、赤子を抱いて来て私に託し、その母の乳房に縋りついて懸命に吸い始めた。女人もしずかに応じた。時経て、兵は「乳房に深き礼して」そこを離れる。刹那、兵の身を根こそぎ揺り返すような慟哭が朝寒の空気を震わせた。
 敵も味方もない、人間の「汚れなき輝き」が顕われた一瞬を捕捉し、川口常孝の歌は懸命に伝えてくる。
(歌人)







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約