書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆添田馨
「樹羅」の話①――森と樹木の象徴的イメージが持つ底知れぬ力
No.3001 ・ 2011年02月12日




 森林セラピーという自然療法があることを、迂闊にも私は最近まで知らなかった。生活上のストレスなどが原因で、鬱病など心に深い傷害を負ってしまった人に、薬物治療やカウンセリングといった従来の方法によるのではなく、“森林の力”を全面的に採り入れることでこれまでに出来なかった心底からの回復を呼び込む作法である。森が本来もっている生命連鎖のパワー、いわば“場”のエネルギーによって、心身の治癒力を高めていこうとする試みだ。
 私はこの話を耳にして、まったく唐突に、かつて私を襲ったある不思議な体験を思い出していた。それは、私自身が森と樹木、もっと正確に言うならその象徴的イメージが持つ底知れぬ力によって、存在の危機から文字どおり救い上げられた体験を指している。
 私はこれまでに、ものすごい形姿をした樹木の夢をたびたび見ることがあった。現実にみる樹木に較べてそれらは異様に艶めかしく、また隆々として何よりも圧倒的に巨大だった。なかでも特徴的だったのは、夢に現れるそれらの樹木が、どれも例外なく一種の神々しさに隈取られていたことだ。明らかにそれらの樹々は、樹木いじょうの何物かだった。
 “樹羅”――夢の中の大地に雄々しく聳え立つ樹的な表象に、私が与えたその呼び名である。
 ところで、人には“死の淵”が本当に見えてしまう瞬間というものが、間違いなくある。そうなったら自分一人だけの力ではもうどうしようもない。死はとても狡猾だからだ。死は無情にも人を人から生きたまま分断する。ひとたび死に魅入られると、人は病的な孤独状態に引き込まれる。“死の淵”は本当は冷たく、光も音も風すらもない、まったくの虚無の地平なのだ。だが、人は人から分断されてしまうと、容易にその中に踏み入ってしまい、自分がいまどんなに危険な場所に来ているかという自覚さえ、完全に麻痺してしまうのだ。
 恐らく私にも、そういうことがこれまでに何度もあったのだろう。だが、私はこうしていま現に生きている。生き続けてこれたのは、何か大きなものが私をそのように促しているからだ。“樹羅”の目にみえない存在感が、そのことを私に告げてやまない。これから、その話をしよう。(続)
(詩人・批評家)







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約