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評者◆稲賀繁美
オリエンタリズムの彼岸へ、あるいは方向を失うこと Temptation a la desorientation‥モスクワで考えたこと(3)
No.3001 ・ 2011年02月12日




 (承前)ひとは安易に自分の文化を他者の文化cultureと区別するが、自らの教養cultureを問い直す必要がある。Henri Massis は Action francaiseに協力した札付きの右翼国粋の知識人といってよいが、1925年段階ですでにこう述べていた。まずRomain Roland, Keyserling,Hermann Hesseといった「偽東洋主義者」faux Orientalistsは信用ならない。東洋に汚染された西洋知識人による腐敗の脅威から西洋は擁護されねばならない。さらにインドの詩聖R.Tagoreにせよ、インド美術の優位を説くA.K.Coomaraswamyにせよ、『茶の本』の岡倉覚三にせよ、欧州を儒教化しようとした辜鴻銘にせよ、はてはM.Gandhiそのひとにせよ、かれらはともに西欧アカデミアの産物であるから所詮「偽東洋人」psuedo‐Orientauxに過ぎない、と。
 極端な決めつけだが、なるほど両大戦間のあっても、両洋で通用するほどの知識人は、もはや純粋な西洋人でも東洋人でもあり得なかった。知的雑種化hybridizationはすでに殖民地化により全球的に進行していた「災禍」だった。
 はたして今日のロシア人にせよ日本人にせよ、スラブ派であれ天皇主義者であれ西欧派であれ、何を根拠に自分はどの程度までOccidentalかOrientalか、と自己申告する権利を有するというのだろう。
 Edward W.Said がいまや30年以上前に提唱したOrientalismは北米を中心におおきな影響力を発揮したが、学術と政治とを故意に短絡させるその論法はSaidismという隠語をも生んでいる。Evgeny Steinerが議論を整理して提案したとおり、Orientalismとは西欧という自己意識をもった主体が推進した他者性追求一般を指す言葉、と纏めるのが、混乱を避けるには有効だろう。
 だが20世紀中葉に至るまでの経験は、西欧的epistemeによる他者探究の破綻あるいは臨界を如実に記録してきた。南米ならAlejo Carpentier の Los Pasos perdidosがアマゾン探検による自己喪失を神話的に描き、アフリカなら Laurens van der Post の The Venture to the Interiorはニアサランドへの探索が魂の深奥への旅に重なることを解き明かした。いずれも生還できない犠牲者を記録しているが、これはチベットへと旅だって消息を絶った修行僧にも当て嵌る。
 オーストラリアが視野から落ちているとの批判があったが、美術の世界なら、エミリー・ウングワレーのことを取り上げるだけで十分だろう。アボリジナル絵画こそが世界の美術投機市場に豪州代表として出品可能な唯一の商品だが、エミリーの作品が秘める精神性は市場経済による搾取に埋没しはしない。非西欧世界の精神性に着目する西欧の目差しは、例えば鈴木大拙による欧米向け禅解釈の流行を準備したが、その後裔というべき井筒俊彦は晩年、ユダヤ思想やイスラーム神秘主義をも統合した東洋哲学を構想した。焔の試練を知った者は試練により命を失うから焔の真実を人に伝えることは能わない。スーフィズムもそう教えるとおり、覚悟した神秘を如何にしてその外部に留まる常人に伝達できるかは至難の問いとなる。精神世界の探求は今なお学術界では忌避される。
 Orientalismの経験は、こうして知の限界の閾のありかを指し示すという貢献を果たしてきた。それは知的解明への方向付けOrientationとなる代わりに、認識主体を途方に暮れさせる。とすればオリエンタリズムの最大の功績とは、方向を喪失する経験dis‐orientaitonの体験だったのではないだろうか。本来の指南は指南車の針が方向を見失った零地点GZから始まる筈である。

*Inernnational Conference,Oreintalism/Occidentalism,Languages of Cultures and Languages of Descriptions,Moscow,Sep.23‐25,2010(Ministry of Culture of the Russian Federation,Russian Institute for Cultural Research,Russian Academy of State Service)の招聘によりkey note addressを要請された。本稿では最終日の綜合討論における筆者の即興口頭発言を要約した。ロシアならではの地勢と視野あって導かれた思索である。主催者に謝意を表する。
(国際日本文化研究センター研究員・総合研究大学院大学教授)
(了)







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