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評者◆伊達政保
時代の文化により培われた感性が、暴力の噴出を促していった――市田良彦・石井暎禧著『聞書き〈ブント〉一代』(世界書院)、長崎浩著『叛乱の六〇年代』(論創社)
No.3000 ・ 2011年02月05日




 小熊英二の大著『1968』上下は、その恣意的な文献主義とかたくなな文化排除の学術研究姿勢によって、ある意味でパンドラの箱を開けてしまったと言うことが出来るだろう。以後続々と、著者の有名無名を問わず、その時代を証言する本が刊行されていくことになったのだ。
 最近では小熊がその著書で敢えて採用しなかったオーラル・ヒストリーの手法による『聞書き<ブント>一代』市田良彦・石井暎禧著(世界書院)と石井の盟友でもある長崎浩の『叛乱の六〇年代』(論創社)が、新左翼政治論の総括を踏まえた論調を展開している。
 文化論では平井玄の『愛と憎しみの新宿』(ちくま新書)が、極私的地域史に基づき「六八年論」を活写している。中でも『1968年文化論』四方田犬彦・平沢剛編著(毎日新聞社)は小熊の文化排除の姿勢を徹底的に批判し、文化排除の上に論じられる「政治」の政治性をこれまた批判するといった、その内容において待ち望んでいた本であった。しかし、文化とは一枚岩ではなく、高位文化と低位文化が重層的に絡み合って構成されていると正しく指摘しながらも、各論者の論調内容が高位文化的になっちまうのはどういう訳だろう。別に批判しているわけではないのだが。またタイム・スパンをどのように取るかによって論調に違いが出るようだ。ウォーラースティンの「長い60年代」により「50年代後半から70年代前半」とするか、「60年代後半から70年代前半」とするか、前者を「前期」「後期」と分ける考え方もあるようだ。やはり高位文化的にはそうなるのかね。しかしオイラから言わせれば「昭和40年代」ですっきりするような気がするのだが。
 例えば「昭和40年代」に浮上してきた論点に「暴力論」がある。フランツ・ファノンを軸に、ヤクザ映画論までを含めて論じられていった。しかしそれ以前に、やつらの暴力に対する暴力、暴力のヒリヒリとする感性、それらをリアルに感じさせていったものがある。昭和40年から月一冊のペースで徳間書店から刊行されていった、新書判のオーヤブ・ホットノベル・シリーズ(大藪春彦選集)である。多くの若者が何冊も読み飛ばし、隠れたるベストセラーとなっていく。オイラでさえ三十冊近く持っている。また同年公開されたクリント・イーストウッド主演の映画『荒野の用心棒』を端緒とするマカロニ・ウエスタンは、その暴力描写が話題となり大ブームを巻き起こす。これらをも含めた時代の文化により培われた感性が、暴力の噴出を促していったことは間違いないと考えるのだ。
(評論家)







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