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評者◆秋竜山
悪書で始まり悪書で終わる本、の巻
No.2999 ・ 2011年01月29日




 マンガがなぜ好きなのか?と、いう問いはむづかしい。好きだから好きなんだ!! としか答えようがない。そんなに好きなものを、なぜ? なんて、ありえないからだ。自分にとって、マンガと人生は同意語でもある。あなたは人生がなぜ好きなのか? と、いう問いと同じことになる。大げさなこと、と思われるかもしれないが、大げさだろうが、小げさだろうがやっぱり好きなものは好きだから、どうしようもなかろう。と、自分をそのように、カイシャクしているのである。長岡義幸『マンガはなぜ規制されるのか――「有害」をめぐる半世紀の攻防』(平凡社新書、本体七八〇円)を読む。マンガという文字がある本であるから、読まなければなるまい。止めてくれるな、オッカさん!! である。本書の全体を通して、マンガにとっての大問題であることがわかる。そして、わからないのが、「悪書」という存在である。「悪書」があるのだから「良書」もあるのだろう。「悪書」ということを誰かが決めつけるということだ。と、いうことは「良書」ということも誰かが決めつけるということだ。マンガに関していえば、特に子供向けマンガにしてみれば、「悪書」「良書」を決めたいのは、なんていっても、母親ということになるだろう。子供のことに黙っていられないのが、父親よりも母親のほうが強いかもしれない。そして、わが子における愛情は母親にとっても命よりも深いものがあるだろう(父親にもある!! といいたい)。母親が本を目の前にして、「この本は悪書、この本は良書」と選ぶ姿は、仕方がないことかもしれない。しかし、ちょっと考えると、これは恐ろしいことでもあるように思えてくる。
 〈警察の関連団体である赤坂少年母の会は五四年五月、未成年に悪影響を与えるエロ・グロ雑誌を追放しようと、「見ない・買わない・読まない」の「三ない運動」を提唱し、まずは身の回りから問題の書籍・雑誌をなくそうと呼びかけて、三五冊を焼却した。その後、三〇〇〇人の会員の〈積極的な〝供出〟が続いて現在までにおよそ五百冊にのぼる雑誌、単行本が煙とともに処分された〉(「朝日新聞」一九五四年七月一七日付夕刊)。黒川博子会長(元厚生大臣黒川武雄の妻)は、〈古物屋や古本屋に売れば、また売られる恐れがある。悪い本とはいえ、焼くということは論議のまとになろうが、また売られる恐れがある。(略)〉(本書より)いわば子を守る母親の社会に対する怒りの爆発です〉とコメントしている。――というのだ。
 〈その後、母の会連合会は「悪書追放大会」を開き、エプロン・割烹着姿で約六万冊の雑誌やマンガを焼き捨てるという行動を起こすことになる。〉(本書より)
 見たい。焼き捨てられた本を。「見たい・買いたい・読みたい」というのが「三たい運動」ということになるのか。大人たちが子供にむかってダメという。子供にとっては、ダメといわれればいわれるほどミリョクあるものとなる。悪書といわれる本を、こっそりと、かくれて読む。ゾクゾクするカイカンがあるものだ。本というものは「悪書ではじまって悪書で終わるもの」かもしれない。







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