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評者◆内藤千珠子
言葉をめぐる制度と対峙するために――小説の現在時に言葉の記憶を埋め込む「沈黙と声」(甘糟幸子、『すばる』)
No.2999 ・ 2011年01月29日




 言葉の生まれるしくみそれ自体を野心的に問う円城塔「これはペンです」(新潮)を読んで、小説の力学について改めて考えさせられた。
 この小説は、機械によって論文を自動的に生成するプログラムを生み出した人物である「叔父」と、その姪にあたる語り手「私」との関係を中心に展開されている。「自動生成」とも呼ばれる疑似論文生成プログラムは、叔父という人物に対する興味と重なり合い、自動的に書かれる文章という命題について、語り手に考察させる。ここに現れた主題は、小説を含め、現在において書かれる種々のテクストを批評するだろう。つまり、方法論を実行することで研究論文を自動的に量産することができるのと同じように、物語の規則をマスターしさえすれば、読者の好奇心を適度に満足させる小説はいくらでも書き続けることができる、というわけだ。
 そうしたシニカルな観点からすれば、たとえばチョコレート工場に勤める労働者の家族史とチョコレートそのものの歴史との間を文体の力で節合し、スケールの大きい小説世界が果てしなく広がる磯崎憲一郎「赤の他人の瓜二つ」(群像)は、それを読んでいる間は壮大な世界像を与えてくれるものの、ひとたび構造が見えてしまうと、いつまでも書き続けることが可能だと錯覚させる無限の風景は、それ自体、終わらない物語という既存のイメージを繰り返した姿にほかならないことがわかり、物語の規則を応用して描かれた類型だといえてしまう。また、老いと性愛というテーマをかけあわせた近藤勲公「雪景色老梅花」(文學界)も、あるいは、現代を生きる若い男女のどこか追い詰められた息づかいを再生する綿矢りさ「自然に、とてもスムーズに」(文學界)も、それぞれに作品としてのまとまりや味わいがあるにしても、現実世界にある異性愛の物語パターンを追奏しているだけと読まれ、反復可能な物語は、見慣れた光景のなかに回収されていくばかりだろう。
 とはいえ、多和田葉子「雲をつかむ話」(群像)のなかで示唆される、「ほとんど意味のない」にもかかわらずなぜか「ムクムクと力を持ち始め、全体を変えてしまう」ような、物語の主軸と拮抗する小説の細部の働きを思うとき、円城作品もまた、物語の方法それ自体を可視化するという物語パターンの一つに閉じ込められているといわざるをえまい。なぜなら、これまですでにそうした実験的な小説は書かれてきたということに加え、語り手が言う「書きはじめる動機や内容を欠き、書く方法だけを探し続けている」というプログラムの性質は、作品それ自体と相似を描き、細部の力を削がずにはおかないからだ。「叔父を書く方法」を追い求める語り手は、結局、テクストの細部を一元的な主題のもとに集結させてしまう。いくらしくみや構造を可視化しても、方法を記述するだけならば、物語の規則に従属する言葉が書かれ続け、その法則は同じように保たれ続けることになる。
 では、不可視にされた構造を目に見えるかたちに変換し、しかも規則に従属するのではない目線を編成するためには、どうしたらよいのか。甘糟幸子「沈黙と声」(すばる)は、小説の現在時に言葉の記憶を埋め込むことで、一つの答えを指し示す。血縁関係と古くからの友人関係とが錯綜するなかに設定された女性同士の絆を描き出すこの短篇では、年を経た一人の女性の死をきっかけに、物語が始動する。
 興味深いのは、作中、やや唐突にさえ思われるかたちで二度挿入される、天皇制にまつわる要素である。具体的に言うと、ひとつは明治節や天長節の歌の記憶、もう一つは君が代問題なのだが、それらは物語展開の上で世代の異なる女性たちの関係を結びあわせ、あるいは取り返しのつかないかたちで断ち切る役割を果たし、また、構造のレベルでみると、女性たちの死をゆるやかに用意しているといってよい。
 生き残った側の女性が三人、関係の濃淡を超えて死者のいる風景のなかに立つ最終場面で、語り手はつぶやく。「声、声、この森で池と空にむかって声にすること。何十回、何百回と頭の中をいききした思いを声にして言葉を固め、岩登りの人がハーケンを岩壁に打ち込むように人の世の時間につきさして」。語り手の声は、言葉をめぐる制度と対峙するための視座を生成する力そのものにほかなるまい。甘糟作品に響きわたる声は、最近の作でいうと、天皇制をめぐる歴史的な叛逆の記憶を私小説的な時空と連接させた瀬戸内寂聴の「風景――面会」(『the 寂聴』12号)や、日本語が抱える見えにくい政治性を、言葉のもつ音の響きを表象する次元で鋭く問題化した二篇を収める温又柔『来福の家』(集英社)と遠く結びあうものであり、いずれも、日本語という言葉それ自体が内包する歴史性や政治性を物語の細部や余白に編み込んでいる。現代小説の可能性は、その地点にこそ現前していると思う。
(文芸批評)

※文芸時評は今年一年間、内藤千珠子氏が担当します。







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