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評者◆稲賀繁美
市場経済の全球的波及は下部構造か?地球的な文化の地殻変動と気象学的構想力‥モスクワで考えたこと(2)
No.2998 ・ 2011年01月22日




 (承前)Evgeny Steinerは西側世界の他者認識の三段階類型を提案した。古典的なOrientalismが西側の世界観に沿って東方の珍奇な文物を配列するexoticismだったなら、19世紀中葉からのJaponismeと通常フランス語綴りで与えられる文化現象は、西側世界にその世界把握・表現方法そのものの刷新を迫る出来事となった、とスタイナーは観察する。そして第三段階が20世紀初頭からの始原主義Primitivismといってよい。英語ではこの語彙はRobert Goldwaterの発案に帰され、西側世界がアフリカやオセアニアの美術から蒙った影響に名付けた標語だが、ロシア前衛藝術ではすでに20世紀初頭より、それに相当する語彙が発案されていることに注目したい。
 他者との出会いは、否応なく自己の認識装置が機能不全を閲する臨界経験へと導かれるが、西欧の世界制覇によって地球表面から地理上の前線frontierが解消するや、探求は水平方向の拡張から垂直方向の深化へと方向を転じる。一方ではインドに源をもつ仏教や中国の儒教・道教の叡智へ、他方では暗黒大陸と呼ばれたアフリカにこそ始原の精神世界を探ろうとする志向である。
 Alexey Vasilievが定式化したように、この三段階は、時差を含みつつも、1古典的な植民地主義から2M.Bakhtin流の対話原理の模索、さらには3ポスト・コロニアル情況下での全球的な雑種hybridizationという変貌に輻輳する。これは時間軸に沿った変貌というよりは、今日なお知識人の思考様式に重層的に畳み込まれてもいる。S.Huntington流の文明の衝突史観が1の残滓なら、非抑圧民族の代弁者が本質論的な自己identityを外交戦術として政治利用する傾向は2の変奏だろう。問題は3世界的に跳梁跋扈している市場経済の一元的支配の位置づけだろう。3への対抗が2や1への遡及的逆行を招く事態が、世界各地で蠢動し始めている。だが、そこに存在論的錯誤はないだろうか。ここで古典的な経済決定論的図式を上下転倒して、見方を転換してみてはどうだろうか。市場経済の世界的席巻は、世界の表面を覆った皮膜構造に過ぎないのではないか、と。
 ヴァシリエフは2の段階を文化の地図制作学 cartography of cultureと呼んだ。地図のうえで自他の領土を塗り分けるタイプの世界認識だが、こうした領土意識がもはや今日の多島的世界に合致していないのは明らかだ。資源採取権を背景とした領土紛争は問題の覇権的すり替えだろう。地形図上の陣取り合戦は地理学geographyに属するが、むしろここで地学的な構想力geological imaginationを働かせることが必要ではないか。国境によって明確に区分できるモザイクからなる世界像は現在大きな地殻変動を体験しており、地下では地層に褶曲や断層が発生し、それに伴い地震や火山噴火が頻発する。その物理的な圧縮作用や化学的変成作用を研究するようなパラダイム・シフトが有効なのではないだろうか。
 地学的な比喩だけでは不十分なら、CO2排出問題を文化の噴煙と捉える構想も可能だろう。かつて室井尚は文化の気象学を提唱したが、異質な気団の衝突による降雨や雷鳴、予測不可能な局地的乱気流の発生は文化間摩擦の比喩となる。関与する諸力が相殺しあって天候が安定したように見えるニセ周期現象は、因果律を越えた法則性の幻想を育む。同様の周期性は精神病理的な症状にも観察できるとする発想が、中井久夫にもあった。
 多層的に積み重なる深層文化意識が蒙る長期的変容を分析するには、地学モデルは有効だろう。また数日の周期で見かけ上循環しつつ移ろいゆく天候のなかに的確に季節の変遷を捉え、瞬時の風の目を読みつつ航路を決定してゆく滑空飛行に、異文化接触の前線に立たされた当事者の振舞いを見るモデルは、逆に気候学・気象学の予測臨界を精査する作業ともなるだろう。
 とはいえ、天変地異に翻弄される情況から導かれるモデルは、和辻哲郎や益田勝実に従うなら、あるいは日本列島というmonsoonの風土に根ざした「火山列島の思想」という出自を暴露し過ぎているだろうか。
(続く)
(国際日本文化研究センター研究員・総合研究大学院大学教授)







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