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評者◆神山睦美
「純粋贈与」の観点からみた大審問官とイエスの関係とは
No.2996 ・ 2011年01月01日





 大審問官のとどまることを知らない激烈な言葉にじっと耳を傾けていたその人が、最後になって、無言のまま九十年の星霜を経た唇に接吻するのは、まさに、言葉の霊力によって鼓舞されたからではないでしょうか。それだけでなく、そういう大審問官のありかたというものへの承認と赦しの意味が、そこには込められていたといっていけないことはないのです。そのことを、アレントは「人間事象の領域で許しが果たす役割を発見したのは、ナザレのイエスであった」(『人間の条件』)という言葉で語ったのだということができます。
 それはともあれ、安藤さんは、折口の天皇像の根本にはたらいている霊的な力が、言葉に宿る霊力と別のものでないことを指摘します。折口の卒業論文である『言語情調論』を精細に分析しながら、そこで述べられた「象徴言語」が、言語の間接性を止揚した純粋な情調を表象するものであることを明らかにしていくのです。ベルグソン、マッハ、フッサール、ヤコブソンなどを援用しながら、主体と客体の間接的、二項対立的関係を超えたところに意識と言語のあるべきすがたをたずねていく仕方は、大変すぐれたものといえます。
 しかし、問題は、そのような意識と言語が、間接的で、対象的な諸々の存在に対して対抗的に現前するというところにはありません。それらが、何よりも霊的な力を贈与するものとして現われるというところにあるといえます。安藤さんの言葉を借りれば、「『純粋言語』の実現による、無数の霊魂と意味の蕩尽が、まさに純粋な贈与として、その無限の『力』を解放する」ところにあるといっていいでしょう。
 「純粋言語」や「言葉の直接性」というタームは、えてして間接的で、対象的な言語構造に対する反措定といった意味合いで使用され、結局は、直接性や純粋性のこちら側で費消されて終わる傾向があります。それを乗り越えるためには、その直接的で、純粋なものが、おのれと対極にある存在と対位をかたちづくる時、はじめて意味を持つということを受け容れる必要があります。それをドストエフスキーは、大審問官とイエスの存在的な対位を通して語ったといえます。つまりそこで、大審問官は、強力なマナを身に付けた存在として、息絶え絶えの言葉たちに直接的で純粋な言語の力を贈与します。しかし、その贈与は、無一物であるようなその人の絶対受動ともいうべき存在様式に対する、対抗贈与としてはじめて意味を持つのです。
 この贈与と対抗贈与こそが、モースの「贈与論」において展開されたモチーフといっていいでしょう。これを、たとえばポトラッチの二重性というところで解釈するならば、対者を殲滅するまでに贈与しつづけるありかたと、あたえる者とあたえられる者との存在的な対位を浮き彫りにする贈与のありかたとが、挙げられます。そして、モースがポリネシアやメラネシアの原住民の習俗に見い出したポトラッチとは、前者のかたちを取りながら、深いところで後者の様式を実現するような贈与のありかたであるといえます。
 このあたりについて、安藤さんは、次のような見解を明らかにします。モースやレヴィ=ストロースが、マナやポトラッチに注目するのは、それが、主体と客体の二項対立的関係を超え出たところに現われる過剰なるものだからである。それは、あらゆる意味を受容するゼロ記号であると同時に、意味するものと意味されるものの乖離を統合し、すべての二律背反を止揚する究極の力にほかならない。メラネシア社会が、このような力を蕩尽することによって、贈与と返礼からなる互酬的な交換を成り立たせているとするならば、その根底にあるのは、この神聖な力を身に付けた超越的存在に対する信憑である。折口が天皇の存在様式に見出したのは、まさに霊的エートスとでもいっていいようなこの精神にほかならない。
 このような安藤さんの理解は、まったく斬新で画期的なものといっていいのですが、ここでの展開からするならば、過剰なるものを蕩尽するポトラッチにおいて、どのようにマナが贈与されていくのかということに関心を向けざるをえません。つまり、大審問官の過剰な力が、無言の襤褸の人を揺さぶるようにはたらくとき、その純粋贈与とでもいうべきありかたは、あたえる者とあたえられる者との存在的対位において、はじめて意味をもつということなのです。折口が「神道宗教化の意義」で述べた、みずからは滅びることも辞せずにこの世を救おうとする「義人」の面影が、もしそこに投影されるとするならば、過剰な贈与を、絶対受動ともいうべきありかたで受け容れていくその人の存在が関わっているからといわなければなりません。
(文芸批評)
――つづく







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