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評者◆安藤礼二
文学のゼロ度さえ破壊し、突き抜けていく――「書く」ことの暴力と断片化によって、制度的な束縛を粉砕してしまう中原昌也「悲惨すぎる家なき子の死」(文藝)
No.2994 ・ 2010年12月18日




 「書く」という行為がもつ禍々しい自己破壊の力とともに、中原昌也が復活した。現在の文学など――小説も、あるいは批評も――所詮「好きで楽しく書いている」馬鹿者たちの、気持ちの悪い自画自賛のオナニーに過ぎない。中原は、「悲惨すぎる家なき子の死」(文藝)に、そう書きつける。書くべきものなど何もない。憂愁めいたさまざまな事物とイメージを自己の内に胚胎させ、多くの小説を書くきっかけとなってくれた「空き地」ですら、もはや何も生み出すことはない。文学のゼロ度さえ、破壊し、突き抜けていかなければならないのだ。関わりをもったすべての人間を不快にさせ、それ故すべての人間から傷つけられ、搾取され、果ては行方不明になってしまった「小森翔太」の悲惨な人生の断片を、中原は暴力的に提示する。微温的な文学の風土には、現状に苛立ち、「書く」ことの暴力と断片化によって、制度的な束縛を粉砕してしまう中原が、やはり必要なのだ。
 「俺はつまらない小説しか書かない。もともとそういうものしか、書く才能ないし。どうせ俺の本なんか何書いても売れやしないし。読みたくなかったら、別に無理して読む必要はない。内容のない、つまらない小説の方が、家族の絆だとか、純愛だとか、そんな現実に存在しないものをあたかもあるかのように語る連中よりまだマシだ。これからも徹底してつまらない、読んでガッカリするような無内容な小説しか書くつもりはない」――中原が捨て身で宣言した、このような一連の言葉から無縁でいられる文学者など、現代において生き延びることはできない。しかし、それでも今、中原が呪詛とともに定位した「ガッカリするような無内容」をもった、ゼロ以下の場所から、書くことをあらためてはじめていかなければならないのだ。文芸各誌で新人賞を受賞してデビューした者たち、受賞後の第一作を発表した者たちは、多かれ少なかれ中原的なヴィジョンを共有している。
 そして、そこから自身にとってオリジナルな作品世界を立ち上げようとしている。書くことについて真に意識的な――無意識的な暴力の発露をも、作品として定着させる技術をもっているという点を含めて、きわめて「意識的」な――書き手しか、作品を書き上げることはできないし、作品を書き続けることができなくなっている。ただ、そのいずれにおいても「上手い」(あるいはやや技巧的でありすぎる)という点は気がかりではあるが。すばる文学賞を受賞した米田夕歌里は、「トロンプルイユの星」(すばる)という物語の終盤、世界の創造主のような不気味な側面を見せはじめた転職仲介業者、人材コンサルティング会社の社員「遠野」の言葉として、次のような一節を記す。「反復する模様はぞくぞくするほど美しい。日常も同じです。永遠のリピートはある種の美しさを生み出します」と。
 東浩紀が『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社)で、高橋源一郎が『「悪」と戦う』(河出書房新社)で描き尽くした、無数の可能世界を無限に反復していくという、不毛と紙一重の表現の可能性を、物語的な破綻もなく、一気に仕上げてしまう作者の力量には、確かなものがある。一つの街、すなわち世界そのもののとなった広大な工場を舞台に、不条理で不毛な単純作業のもと、自己と他者、空想と現実、時間と空間が重層的に融合していく新潮新人賞受賞作、小山田浩子の「工場」(新潮)もまた、「マリオ・バルガス=リョサ、スティーヴン・ミルハウザー、フランツ・カフカ、レーモン・ルーセル、町田康、笙野頼子」からの大きな影響を作者自身が明らかにしてくれているように、現代的な表現の課題に果敢に挑み、その成果として完成度の高い作品を提供してくれている。ただ、私には両作品とも、表現の不可能性に挑戦することがそのまま、表現の現代的な「意匠」として機能してしまっているとも感じられた。それが長所であり、弱点でもある。
 そのことは、小山田が「工場」に登場させ、リアリズムの極として描ききった空想動物、灰色ヌートリア、洗濯機トカゲ、工場ウと同じ機能を果たす「人工交雑魚」タイガートラウト捕獲を物語の中核に据えた穂田川洋山の文學界新人賞受賞第一作「あぶらびれ」(文學界)の読後にも、作品の完成度の高さとともに感じたことである。もう一つの新潮文学賞受賞作、小山田と現代における書物の不可能性――空き地に「遺棄された大量の白い本の山があり、頂上にはいつも鳥がいた」――という主題を共有しつつ、家族も物語も崩壊させてしまう何ものかの「氾濫」に魅せられたように立ち尽くす太田靖久の「ののの」(新潮)、さらには、「今の話、まともなところが、ほとんどないよ」と作中の登場人物がつぶやく大森兄弟の文藝賞受賞第一作「まことの人々」(文藝)の方に、私は強く惹かれた。大森兄弟の「まことの人々」は、悲劇と喜劇、真面目と不真面目といった区別を無化してしまう真剣な遊戯としての現代演劇が切り拓いていこうとしている表現の時空とも深く通底する。 
(文芸批評)







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