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評者◆神山睦美
三島由紀夫らがついに抱くことのできなかった折口天皇像
No.2992 ・ 2010年12月04日




 ここで、最低存在である天皇とは、流浪するホカヒビトとしてすがたをあらわす者の謂いです。それを、たとえば、十六世紀スペイン、セビリアに現われた襤褸の人と遠くつながる存在ということはできないでしょうか。同時に、神の威力を伝える至上存在としての天皇を、大審問官に擬することは。中村さんは、そのような統治権力者としての天皇を、ローマ法王になぞらえて論じたりもしているのですが、ここに大審問官をもってくるならば、折口が神道の宗教化ということに、何を託そうとしたのかが見えてくるのではないかと思われます。少なくともそう解釈することによって、折口の天皇および天皇制についての展望が、三島由紀夫や六十年代の日本ナショナリズム論によって喧伝された、ルサンチマンのはけ口としての天皇論にくらべてどれほど思想的な広がりをもつものであるかが、理解されるのではないかと思われます。
 このことは、中村さんの「戦後天皇論」を原型として成り立ったと思われる安藤さんの「神々の闘争」において、さらに壮大なスケールで検証されることになります。どういうことかというと、安藤さんの描き出す折口の天皇像とは、至上のミコトである天皇霊をもって敵対する異民族・異教徒を制圧していく最高存在にほかなりません。そこには「神道」を基盤とし、天皇を統治者とした強固な政治的・宗教的共同体のすがたが思い描かれるのであり、それは「神の国」を地上に実現させた、神的共同体の理想的なすがたなのであるとされます。
 これだけを取ってみるならば、中村さんが折口の天皇像から取り出してみせた、超越的な神の霊力を帯びて万物の再生強化をはかる天皇のイメージとは、だいぶ異なるようにみえます。しかし、安藤さんにあっても中村さんと同様、このような天皇像が一方において魂の容れ物にすぎず、空なる口と同期してあるものにほかならないということは、自明の事柄なのです。至上のミコトを身に帯びた最高存在であり、超越神の霊力を身に付けた万物の王である存在とは、言葉を奪われ、無一物のままさまよいあるく最低の存在と同期することにおいて、はじめて意味をもつものといえます。そして、ここに影を落としているものこそ、ドストエフスキーが描いた大審問官とイエスの対位するすがたにほかなりません。
 安藤さんにあって、民衆のルサンチマンを預かることによって、強大な統治権力者としての役割を授かる大審問官とは、天皇霊を身に付け、敵対する異民族・異教徒を制圧していく至上存在としての天皇にほかならないということもできます。この天皇は、宗教的な祭司であるとともに政治的な権力者として、聖戦を遂行するものであり、国々の小さな神々を服従させることによって、強力な一神教を成り立たせるものです。しかし、注意しなければならないのは、このような天皇の存在様式が、大審問官における無言のイエスに当たる存在を、それ自体のうちに擁しているということです。そうでなければ、この天皇は、民衆のルサンチマンを吸い上げることによって、絶対優位を実現しようとする独裁者の存在となんら変わらないことになってしまいます。
 安藤さんの描き出す天皇像には、一見するとそのような色合いがないとは言い切れません。しかし、大川周明や井筒俊彦を媒介としながら、そこにイスラーム、ムハンマド、コーラン、ジハードという理念を投影するとき、安藤さんの依拠していたものが、折口のなかに生きていた「自覚者」や「義人」の面影であることは、まちがいないといえます。そこには、大審問官に無言のまま対する襤褸の人イエスの面影が投影されているのであって、そのように取ることによって、初めて、安藤さんの折口天皇像が、過激な独裁者のイメージを結ぶことから免れるのだと思われるのです。そして、天皇への恋闕を語った六十年代の日本ナショナリズム論者にしても、「などてすめろぎは人間となりたまひし」という怨嗟の言葉を語った三島由紀夫にしても、ついに抱くことができなかったのは、このような折口天皇像であったということができます。
(文芸批評)
――つづく







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