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評者◆阿木津英
節度のメルトダウン――問われる「ことばの結界」の感覚
No.2991 ・ 2010年11月27日
「節度」という語を、何カ所かで見ることがあった。結社雑誌『槻の木』11月号の「歌をめぐる日々 選後小感にかえて」では来嶋靖生が、近親の死を悼む歌をつくるのはいいが「身内を詠む場合、あられもなく誇らしげに、ナマの感情を露出して憚らぬ人は結構多い」「節度とつつしみを知らぬ人に詩人の資格はない」と作歌上の注意を述べる。また、偉大な画家作家をいまさらのように称賛する歌も「身の程を知れということがある」「凡人の安っぽい褒め言葉は、かえって大家への非礼になりかねない、ということに気が付かないのが不思議だ」とも述べる。
いずれも、基本中の基本の心構えだが、これを力説しなくてはならないほど多出しているのだろう。 内野光子ブログ10月27日付では「節度を失ってゆく歌人たちが怖い~河野裕子追悼をてがかりに」という記事がアップされている。河野裕子は毎日歌壇選者の一人だったが、同歌壇10月10日付篠弘選は11首すべてが河野裕子追悼歌だった。また、10月25日付朝日歌壇では、夫である永田和宏選者が河野追悼歌の1首を採用。いくら何でもやりすぎではないかというのである。 6月頃だったか、現代歌人協会賞・日本歌人クラブ新人賞受賞歌人である松木秀第二歌集『RERA』の「剽窃」疑義も思いあわされる。ネット上の他人の詩日記をほとんどそのまま歌に翻案した13首に対し抗議があり、削除・再印刷された。盗作問題は昔からあるが、おそらくこれは歌に翻案すれば自分の歌と作者は悪気もなく思っていたのだろう。 もちろん、そんなことが許されるのなら、添削した歌はみんな添削者のものになる。翻訳もみんな自作。模倣にも「主ある言葉はいけない」と教えられたものであって、そこにはおのずから目に見えない結界がある。松木秀はこれまで、そのような結界の感覚(すなわち節度)を学ぶ機会がなかったのだろう。 完全に崩れちゃったらもう駄目だ補正下着と補正予算は (『RERA』) 一語を発するにも、節度がいる。その語を発する資格が自分にあるかどうか。その問いつめ無くして発せられる言葉は、灰のように軽く、人のありようを蝕む。 (歌人) |
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