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評者◆安藤礼二
都市の建築と破壊、そしてカオス――時間の生成と消滅、時間の連続と非連続が一つに融け合う朝吹真理子の作品
No.2990 ・ 2010年11月20日




 世界的な建築家である磯崎新は、「〈やつし〉 と〈もどき〉」(新潮)において、『新潮』の前号に自著『建築における「日本的なもの」』の書評として訳出・掲載されたフレドリック・ジェイムソンの「茶匠たちが作り上げたもの」に応え、論点を拡げている。磯崎はこう述べている。列島の文化的地層は、考古学的な古層、江戸システム、近代世界システム、新世界システムという四つの層をなし、順次積み重なるとともに、最新の新世界システムのもと、他の三つの層もまた遺制として――つまり、いまだ作動する要素を残して――残存している。新世界システムとは、「情報テクノロジーが生む模像が支配的になり、これが金融資本によって起動され、グローバリゼーションのツナミとなって全世界を覆う」ものなのだ。新世界システムにおいて、言説の中心は建築から都市へと移行する。
 この新世界システムにおける都市を定義するものこそが、「退行」(やつし)と「擬態」(もどき)によってあらゆる時代の模像(シミュラクル)を共存させるカオスである――「カオスこそは自然的世界の究極モデルである(各国の神話をみるといい)。人間がテクノロジーを用いてこれを開発変形して、虚像の形式をつくりあげた」。イメージを破壊する源にして、イメージを再構築する源としてもあるカオス。現在、情報テクノロジーによってカオスはその極限まで活性化されようとしている。
 磯崎がここに記していることは、建築論=都市論における現在ばかりでなく、文学における現在、文学が直面しなければならない現代的な課題をも過不足なく説明しているかのようだ。都市における建築と破壊。磯崎の見解と共鳴するかのような一節を、はからずも最新の小説作品のなかに刻み込んだのは、磯崎よりもやや年少ではあるが、磯崎と同時代を生き抜き、言語表現の極とも言える諸作品を書き続けている古井由吉である。「蜩の声」(群像)に、古井はこう書き残している――。
 「外壁が崩壊して内部の露出した光景を、平穏無事に見える建物に対しても、自分の目は常に透視している、とその知人は言う。私は若い頃から、建築の内に破壊を見るという傾きがあった。以前の破壊を思うばかりではない。将来の解体を思うのでも必ずしもない。建築と破壊とを同時に、同一のもののように感じる」。この知人の言葉を体現するような外壁修繕工事中のマンションの一室で生活する小説家の主人公「私」の耳に、古井は、過去と現在を、生と死を通底させる蜩の声をただの一瞬だけ、幻のように響かせる。人工の騒音と自然の声が、都市の建築と破壊が、表現というカオスにおいて一つに融合する。
 古井が言語表現の極として描き出したヴィジョンを、最も若い作家の一人である朝吹真理子もまた間違いなくその目にしている。詩人の吉増剛造の写真作品(まさに最初期の情報テクノロジーの成果)について触れたエッセイ、「Gozo(よろこび)の庭」(新潮)の一節――。
 「吉増剛造はつねに謎として出現する。写真を構成している、おのおのの素材が何であるかがわかったとしても、一枚の写真には、統一された意識も一貫性も存在しない。吉増剛造は文字列や音楽が時空の摂理に従い単線であることからのがれられないということからのがれようとしている。脈絡や意図を推し量ることに慣れて、それによってはからずも保護されていたわれわれの目を殺しにかかる」。 朝吹が吉増の写真作品を評した「入口だけが無数にある迷路園」とは、朝吹自身がこれまで公表した驚異的な作品、デビュー作『流跡』(新潮社)と第二作『きことわ』(『新潮』九月号)の本質を最も良く説明するものでもあるだろう。一冊の書物のなかに封じ込められた何時の何処ともつかない場所。時間の生成と消滅、時間の連続と非連続が一つに融け合う場所。そのような場所を生きるのは、村田沙耶香が「ハコブネ」(すばる)で描き出したような「無」の性、星としての性をもつ、男でもあり女でもある存在、もしくは男でもなく女でもない中間的な存在であるだろう。
 村田の「ハコブネ」は、花と肉体と宇宙を一つにつなげた前著『星が吸う水』に収められた「星が吸う水」と「ガマズミ航海」を内容においても形式においても一つに総合し、そこから一歩踏み出そうとした意欲作である。病的に「女」としての老いを恐れる三十を越えたばかりの椿と、椿の同級生であり肉体としての時間を感じることができない物質としての時間、「星と星」との性を生きる知佳子、さらには「性別を脱ぎ捨てた」愛を求めるため、自身の性をゼロとした男装の少女・里帆。三人は孤独な人々が集う夜の「自習室」で出会う。村田は「無」や「ゼロ」の性をもった女たちを「自習室」という新たなノアの箱舟に乗せて自由な航海に旅立たせようとする。その試みは、幼い姉妹を主体的に描ききった長嶋有の「十時間」(すばる)や田舎と都会の差異を無化し、複数の女性の生を内側から生きる北野道夫の「泥のきらめき」(文學界)と交響し、文学の未来を目指すものである。
(文芸批評)







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