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評者◆秋竜山
江戸のことわざ、大きな笑い、の巻
No.2989 ・ 2010年11月13日
南和男『江戸のことわざ遊び――幕末のベストセラーで笑う』(平凡社新書、本体七八〇円)のオビでは、〈奇妙奇天烈、抱腹絶倒〉とは、なんとすさまじい。そして、〈珍本「諺臍の宿替」現代語訳、ついに登場!〉と、ある。「諺臍の宿替」とは――へそが引っ越しをしてしまうくらい可笑しい、の意――と、いう。臍で茶をわかす、ということは当たり前のこと、臍が引っ越しをしてしまうくらい可笑しいとは、もうお話にならないくらい可笑しいお話ということになるのだろう。
〈江戸時代の末期には、三百年近く続いた徳川政権が、鳥羽・伏見の戦(一八六八年正月)の敗北によって、一朝一夕にして「賊軍」「朝敵」の汚名を浴びる大転回が起こった。〉〈本書の原本が、幕末の一八六〇年頃から明治三十四年(一九〇一)まで、およそ半世紀にわたって刊行をみたことは前述したとおりで、まさに超ロングセラーである。(略)現実的でかつ実利を尊んだ当時の大坂人の趣向によくマッチしたのであろう。(略)本文の主人公は、大坂のどこにでも見かけるような人物であり、生活に厳しい一面どことなく間の抜けた、またユーモアに富んだ人物の言行は、当時の大坂人の好みによく迎えられたのであろう。〉(本書より) 「諺臍の宿替」は、一荷堂半水作/歌川芳梅画による、一枚物である。文と画の合作。 〈もともとは一枚摺りとして売られたものか、あるいはそれらをまとめて一冊本として売られたものであろうか、という推定がある。〉(本書より) 現代人は、どちらかというと外国のユーモアにならされている。だから、その笑いも「人間のバカ馬鹿しさ……」と、いうようなものとしてとらえる。ところが、日本人そのものの馬鹿笑いというものがある。「諺臍の宿替」の笑いなどがそうである。「人間の……」ではなく「自分たちの先祖、あるいはジーさんバーさんや、トーさんカーさんたちの笑い」と、いうものだろう。着物を着た笑いであって洋服の笑いではない。〈江戸へ小便しに行く人〉では、〈「江戸へ一度は行かぬと男になれぬ」というから、今度わざわざ出てきたが、えらく賑やかなところで、八百八町を全部見物しようと思うと、半年も一年も居つづけなければならない。それには金が不足で、帰りの旅費さえ不足なくらいだから、一日の滞在も難しい。でもまあ、せっかく江戸へ来たのだから、せめて小便でもしておこうか。ジャジャジャジャジャジャジャジャジャ。いやあ、とんだことだ。江戸へ来ると、小便の出かたまでが素晴らしくなって、ジミジミとはしていられない。これでは上方(京・大坂)へ帰っても、このとおりの小便をしてみせてやらァな〉そして、〈解説〉がついている。〈江戸と上方の景気の違いを、小便の勢いで表現する発想は奇抜である。(略)〉このように、72の諺がのっている。諺は文章がダラダラしてなく短くてよい。その中に大きな笑いがあって、ますますよい。そういえば、今の時代ではそんなことをいうことはないが、ちょっと前までは、〈パリへ小便しに行く人〉なんて悪口があった。画家になるために、はくをつけるためのことか。うまいこというなァ!! と笑ったものだが、もしや、ここからとったのか。ウン。 |
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