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評者◆添田馨
詩の電子化をめぐって考えたこと④――紙による造本形態というものに向き合う
No.2989 ・ 2010年11月13日




 詩の電子化、詩集の電子書籍化といったことを何回かにわたって考えるなかで、私は先端技術が導いていくだろう書物の未来ビジョンよりも、逆に私たちにとっては親密すぎて、いわば言葉の文学性にとっては無意識の領域にまで後退してしまい、誰もこれまでまともな批評対象としてカウントしてこなかった紙による造本形態というものに、いま改めて向き合うことを迫られているのかもしれない。
 紙の本しかなかった時代には、最終的に言葉を載せて運ぶのは紙そのものだったから、そのことについて敢えて取り上げる必要性はさほど強くはなかった。しかし、現実に存在するある形式が必ずその本質を、象徴的にであれ表現していることを考えれば、現在ある紙の書籍形態は、私たちに次のことを教えてくれる。
 まず、ページという概念があること。ページという形式は、もともとは多量の文字情報をコンパクトに携帯できるための最も効率的な物理的制約から生じているとしても、それの象徴的意味の文脈からすれば、ページの機能とは、閉じられた状態においてその間に幾層もの時間の切片を折り畳んでいることだろう。見開きごとに私たちが物語の新たな展開や詩作品の新境地に出会える体験をするのは、作品を根底で支える時間がページの間に透明なタイムカプセルのように冷凍保存されているからなのだ。私たちがページをめくる現実の時間と平行に、その文学の時間はそのつど解凍されては意識内部に喚起され、そしてページが閉じられると共に、また書物のなかへと格納されていく。一冊の紙の本を持つということは、いつでも取り出せるように冷凍保存された、この他と取り替えのきかない時間性を所有することと決して別ではないのである。紙の本の持つ形式性は、書物のこうした本質機能の、じつにパラレルな暗喩なのだと言ってもよい。
 無論、電子書籍の側にもページという概念は残り続けるだろう。だが、そのことが文学の表現価値、もっといえば言葉に対する私たちの感性のありようを初期設定している無意識の構造というものに、果たしてどのような変容をもたらすことになるのか、まだ誰にも分かっていない。詩の電子化、詩集の電子書籍化が問いかけてくる、言葉全体を巻き込んだ未知の価値形態論争は、今ようやくその戦端が開かれたばかりなのである。
(詩人・批評家)







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