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評者◆神山睦美
折口信夫が藤無染から受け取った、悲劇的といっていい深慮
No.2986 ・ 2010年10月16日




 「神道宗教化の意義」において、みずからは滅びることも辞せずにこの世を救おうとする存在のイメージを「自覚者」や「義人」という言葉によって示したとき、そこに浮かび上がってくるものが、このような宗教的救済のありかたであるということを、折口はわきまえていました。神道を普遍宗教としてかたちづくっていかなければならないという折口の思いのなかには、神々の戦いにおいて敗れ去った日本とこの国の民を、いかにすれば再び起たしむることができるかという念慮が仕舞われていたということができます。そのときの折口が、藤無染を通して、ヤスパースに連なる二十世紀の思想家たち――アレントからベンヤミンまで、バタイユからアルトーまで、シモーヌ・ヴェイユからローザ・ルクセンブルグまで――を、その真情の深いところで受け取っていたことはまちがいありません。
 彼らのなかに生きているモチーフを一言でいうならば、「存在しない神に祈る」ということになるといっていいでしょう。そして、明治の仏教革新運動に身を投じた鈴木大拙や藤無染のなかに生きていたのも、このモチーフにほかならないので、彼らが「革命的無神論者」であるとは、そういうことにほかなりません。わずか三十歳でこの世を去った藤無染は、もともと浄土真宗の宗徒として仏教の内部に分け入っていったのですが、親鸞の教えのなかにすでにこのモチーフが脈打っていることに気がつかなかったはずはありません。『歎異抄』に語られた「いずれの行も及びがたき身なれば、すでに地獄は一定棲み家なり」という言葉には、ついに涅槃へといたりつくことができず、にもかかわらず弥陀の本願にあずからずにはいられない思いが表明されているといえます。
 そこには、ヤスパースが、軸の時代の思想家と呼んだ紀元前五世紀を前後する時期にあらわれた思想の型が、確実に影を落としています。孔子も仏陀も、ソクラテスもヘラクレイトスも、さらにはザラトゥシュトラもマハーヴィーラも、悲劇的なと言うほかないものを背に負って、それでもなお何ものかへの祈りを絶やすことがなかった。ヤスパースは、儒教における仁・義・礼・智・信、仏教における涅槃、ゾロアスター教における生命・真理・光、ユダヤ教におけるメシア、そしてギリシア哲学における叡智と覚醒、これらはすべてそのような課題を負わされた人間の指標なのであると言うのですが、藤無染から折口へとつたえられたものこそ、まさに、これだったということができます。
 千年王国主義や黙示録的情熱が、真に実存の課題を負うものであるとするならば、このような悲劇性というものを甘んじて受け入れなければならないということは、いうまでもありません。それが、たんに自我の散乱する光のなかにあらわれてくるというだけでなく、そういう光そのものの悲劇的なあらわれとして顕示されるということ。そこにこそ、「複岐する実存」のあるべきすがたが見えてくるのではないでしょうか。
 昭和二十年七月十五日、内務省情報局講堂においてもたれた会合での折口の発言が、高見順『昭和文学盛衰史』に記されています。本土決戦に備え、国民士気高揚に関する啓発宣伝をおこなうというのが、その会の趣旨でした。そこに招かれた「文学報国会」をはじめとする文化芸能関係の人々を前に、情報局報道部に属する陸軍将校が、特攻隊を持ち出し、覚悟の抵抗を持ち出して、怒声を発していた時、静かに発言をもとめて手を上げた人物がいたと、高見順はつたえています。
 その人物の「言葉こそおだやかだけれど、強い怒りをひめた声で」述べられたのが、「安心して死ねるようにしていただきたい」という一言でした。軍部・官僚の後ろ盾をえて言論界を牛耳っていた人物が、即座に「安心とは何事か。かかる精神で……」と罵倒をはじめると、そのひとは黙って聞いていたが、罵倒が終わるや、もの静かに、「おのれを正しゅうせんがために、ひとをおとしいれるようなことを言ってはなりません」と低いが強い声で、その言論界の大立者をたしなめたといいます。このような折口信夫をまのあたりにして、こういう静かな声、意見が通らないで、気違いじみた大声ばかりが横行したために、日本はいまこの状態に成ったのだという感想を高見順は記すのですが、このときの折口のなかに、「神道宗教化の意義」において述べられる「自覚者」「義人」といった存在についての確信が秘められていたことは、まちがいないといえます。そして、折口が藤無染から受け取ったのも、必ずしも性愛にかぎることのできない悲劇的といっていい深慮ではなかったかと思われるのです。
(文芸批評)
――つづく







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