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評者◆稲賀繁美
身体毀損の文明学にむけて・上 纏足・FGS女性器切除手術から「甲殻に宿る幽霊」まで
No.2986 ・ 2010年10月16日




 フランスの南部にあるベネディクト会の修道院に、臨済宗の禅僧を引き連れて合宿したことがある。日本のお坊さんたちに何が耐え難かったかと言って、食事毎に出されるチーズの匂いに勝るものはなかった。こんな足の裏のように臭いものには耐えられない、と。驚いたことに、これと正反対の理屈で、清朝遺臣の儒者、辜鴻銘(1854-1928)は、西洋人に対して纏足を擁護していた。纏足の悪臭を言い募る批判者に対して辜は、それならあのチーズの悪臭はなんだ、と切り返したのだという。どちらも優れた「臭覚の藝術」である。これが儒者の理屈だった。この古田島洋介氏の指摘には蒙を啓かれた。
 元代に漢民族で流行を見て、明代から清朝末期まで隆盛を誇った社会風習に、富裕な女子の纏足がある。『金瓶梅』を見ても、冒頭第4回での西門慶と潘金蓮の逢う瀬からして、纏足に被せる靴の意匠が、男女の恋の駆け引きに、なくては叶わぬ道具立てだったことが窺われる。幼女に対するその施術がきわめて過酷なものだったことには証言もある( Howard S. Levy , Chinese Foodbinding,1967)。だが、富裕な階級にとっては、纏足は娘の嫁入りにも不可欠の条件であり、良家の母親が娘に強いた風習だった。
 現在の価値観からみれば、ここにFGS(通称「女子割礼」の「政治的に正しい表現」)にも匹敵する、女性の身体への毀損行為を見ることは容易だろう。それは女性の人格への蹂躙であり人権抑圧と見られても不思議ではない。母が娘に強いるにせよ、その外側に家父長制の掟を読むことも困難ではない。加えて纏足は、人工的に製造され、私秘に隠匿された、性器の代替愛玩物でもあった。
 だが辜鴻銘の弁明を待つまでもなく、ピアスやコルセットは容認しながら、非西洋社会の風習ばかりを蛮行呼ばわりする価値観の裏には、生理的嫌悪感と道徳的正義感を背後で支えていた政治的無意識が露呈する。そこには非西洋世界内の支配構造を非難することによって、西洋世界価値観による世界支配を肯定するという二重構造が潜んでいたからだ。入れ墨や彫り物は、現在ではむしろ西洋人に愛好者が多い。ここはPeter Sloterdijkに従って、これらの身体改造術一般に、人類による人類自らの「家畜化」志向をみるべきだろう。
 だが家畜化となると、日本列島文化史の特殊性に注目する言説が登場する。曰く、宦官も纏足も島国・日本には定着しなかったが、これは牧畜文化の去勢技術が列島に伝播しなかったことと同根だ、というわけだ。騎馬民族説が物質文化史の立場からは支持を受けない理由の一斑もここに帰着する。むろんこれは口蹄疫の蔓延を招いて、宮崎の畜産家に大被害を齋らした、今日の産業化した牧畜業導入以前の昔話である。
(以下次号)
(国際日本文化研究センター研究員・総合研究大学院大学教授)







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