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評者◆たかとう匡子
野口雨情をめぐる読み手の想像力(『群系』と『シリウス』)、主人公の生き方に説得力(小松陽子「砂嵐」『木木』) 追悼特集号が4冊。全誌面を特集に組んだ『朝』の徹底性に共鳴
No.2985 ・ 2010年10月09日




 「群系」第23号(群系の会)の坂井健「『七つの子』の解釈」は「叙情歌・童謡の鑑賞」という前置きがついているが、なるほどそういわれればそうか、というぐあいに、日本語表現のもつあいまいさ、不透明さに言及していて読み物としてもなかなか面白い。有名な野口雨情の「烏 なぜ啼くの/烏は 山に/可愛い七つの/子があるからよ」の「七つ」とは七歳の子か七羽かどちらを指すかという問題である。ここでは七歳の子だととらえており、かつその背後にはモデル問題もあったようで、色の黒い女性が田舎に残してきた七歳の子を偲んで泣くといううがった見方もあるようだと伝えている。私は「ななつの」とはおそらくこの四音のリズムから発語されたはずで、作者にとっては七歳が仮に七羽ととられてもそう目くじらたてることはないと思っていたのではないだろうかと思う。仮にどちらに解釈しても、そこにこめられた音楽(リズム)には影響を与えないと思うからだ。
 「シリウス」第20号(シリウスの会)の宇野秀「『赤い靴』論争に思う」も同じく野口雨情の「赤い靴 はいてた 女の子/異人さんに つれられて 行っちゃった」の「女の子」にモデルがあった、いやない、という論争があるらしく、その論争に引っかけて、それぞれの過程を追いながら、雨情の生涯を伝記風に描いていく。モデルが確かに実在したと主張するのは『赤い靴はいていた女の子』の著者菊池寛、一方、その著『捏像 はいてなかった赤い靴』でこれに激しく反発しているのが阿井渉介だと紹介した宇野秀自身はモデルは歌のイメージの中に存在するのではないかと言っているが、私は、赤い靴をはいてぽつんと立っていたただの女の子を見て異人さんに連れられて行っちゃったとうたったとしてもいっこうにさしつかえないと思う。そこは作者の想像力の世界に属し、読み手の想像力がまた自在にあっていいのではないかと思う。それが価値を高めたりするのであって、いずれにしろ想像力を刺激しないのは面白くない。それにしても、野口雨情は面白いし、今一度話題になるのもいいだろう。
 「吟遊」第47号(吟遊社)はポルトガル語の俳句の英訳を、さらに夏石番矢が、たとえばそのうちの一句を挙げると、「内面の人間への道に/自然のパゴダ/嘘の涙を解放する」と和訳している。でもこうなると、これが俳句形式に属するとはいいにくく、ふつうの短詩といってもよく、俳句も口語自由詩に吸い込まれてしまうのではないか。安西冬衛や北川冬彦など「亜」で試みた短詩運動、そこへ帰ってきて、短詩と俳句の自由律化のなかで分け目がなくなってしまう。じゃあ伝統としての俳句はどうなるのかと気にかかる。印象だけを書きつけておく。
 「木木」第23号(木木の会)小松陽子「砂嵐」はなかなかの力作。誤解を恐れずにいえば、よくできたメロドラマだ。五十歳の主人公は十五年前、十歳年のはなれた職場の上司と関係をむすぶ。あくまで性愛の対象でありそういうふうに思って付き合ってきた。そのあいだにはいろいろとドラマがあって、男とは別れた。やがて五十歳になり、将来のことを考えてお見合いをする決心をして手渡された写真を見るとそれがかつての男だった。男は愛人がいたことにじっと耐えてきた妻から子供が独立したのを機に離婚されていた。メロドラマといったのは筋立てが少々出来すぎているから。だが、読後感は意外とさわやかで、主人公の生き方も細部がよく描きこまれている分しっかりしていて説得力をもっている。
 「詩と眞實」第734号(詩と眞實社)の内田征司「天空の船」はタクシーの運転手をしている男が夜の九時すぎに山越えの客をひろう。客は耳の聞こえない男の子とその母親。運転しながら自分の過去を回想する。男はもと和菓子職人で、先代の家つき娘と結婚したが、賞味期限切れの事件が起き、家を放りだされたという来歴が語られる。暗やみのなか、車を走らせていると、天空に船のような形をした丸く白い輝きが浮かんでいて、「母ちゃん」と幼いころの記憶に引き戻されるところがクライマックスだが、最後は人間分相応に生きるのが一番ということで終わっていて、逆にここが蛇足になった。むしろ面白いのは親子を送り届ける短い時間のあいだに生涯を回想するところ。そこは手際よく切りあげたほうが効果があろう。
 「空の引力」第30号は終刊号。伊与部恭子の詩「球根」から、私はエリオットの「荒地」を思い出した。花々は冬のあいだは球根のまま地面のなかに眠っているが、春になってにょきにょき出てきて人に切られたりする。だから不幸になるから「四月は残酷な季節」ということになる。ただこの詩、エリオットとちがって眺めて書くだけだったら詠嘆的抒情になる。それはそれでいいとして、そこから踏み出すことも考えてほしい。
 今月は「朝」第29号「追悼・宇尾房子」、「視点」第73号「追悼・柿崎五助」、「風土」第10号「山川禎彦追悼特集」、「水晶群」第59号「伜山紀一追悼特集」と追悼特集号が四冊。そのなかで「朝」は全誌面を特集に組み、生前の作品や作品年譜とともに三十七名の人が書いている。こういう徹底した作り方というのはとても大事で、そこは共鳴したい。
(詩人)







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