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評者◆添田馨
詩の電子化をめぐって考えたこと(3)――ツイッターという外部メディアが、「詩」の内部と化す
No.2985 ・ 2010年10月09日
『現代詩手帖』(8月号)が150行のツイッター連詩「テスト。これはあなたに、」を掲載している。但し書きには「この作品は7月1日~7日、ツイッターの本誌アカウント(@shitecho)上で募集し、1ツイートを1行として本誌編集部で構成したものである。」とあり、採録された80のアカウント名および該当する行数の番号が列記されている。
果たして、これは本当に「詩」なのか。恐らく従来の詩の概念からすれば、これは「詩」ではないという批判的見方もできよう。だが、これを「詩」として受け止めようとするなら、詩のこれまでの定義こそが変更される必要が出てくる。重要なのは、これが「詩」であるかどうかという議論よりも、こうした問いが意味するところを突き詰めることにあるだろう。 各詩行には作者名が付されていない。あるのはアカウント名だけであり、このことは作者の個性という概念を即座に無効化している。そこでなお、これら一群の文列が「詩」であるために、言葉はどのような価値としてみずから振舞うことになるのか。私はここに、見えない作者たちの表出的価値が読み取れない代わりに、構成的な表現価値が作品全体を支えているという印象を持った。この作品を構成したのは「本誌編集部」であるから、本当の作者はみずからの個性を滅却したこの編集意志そのものということになる。 ここではツイッターという“場”のみが本源的である。巻末の「Note」にあるように、この作品は「幾万通りの可能性の上の氷山の一角」にすぎず、その構成順位はどこまでも恣意的な必然性として無限に近く組み合わせが可能であり、作品に固有であるべき本源性ははじめから棄却されているからだ。これは、ツイッターという外部メディアが、完全に「詩」の内部と化した、恐らく日本の詩の歴史上初めての記念すべき良質なサンプルである。そして私たちがそれを、紙のうえに印刷された状態でしか読むことができないという矛盾した現実のうちに、詩の表現的価値をめぐるひとつの先鋭的な課題が、降り注ぐ直前の夕立ちのように集約されていると映るのである。 (詩人・批評家) |
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