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評者◆高橋宏幸
それでも紡がれる物語――ワジディ・ムアワッド作・演出『頼むから静かに死んでくれ』(@静岡芸術劇場)
No.2984 ・ 2010年10月02日




 かつて物語論が流行となったことがあった。それは物語を批判すると同時に、もはや物語を作ることが困難になりつつあることを示していた。たとえば、中上健次は『現代小説の方法』において、場所から場所へと移動することによって時間が生まれ、心理が描かれるだけではない物語が作られると述べた。だから、「小説を阻害するもの」として、移動の空間の消失を指摘した。だが、今ではよりその事態は進んでいる。インターネットの出現などは、かつて言われた速度の時代をより短縮して、グローバリズムの空間を補強する最たるものとなっている。
 しかし、物語はなくなっていない。むしろ、そのような状況があるからこそ、逆に物語はより強く求められている。だが、近代小説の終わりという歴史のなかにいることを自覚して、それでも物語を描こうとすることと、ただ無自覚に物語を書くことの差は大きい。文学に限らず、演劇も同じように、かつて演劇の不可能性についての議論はされた。ポストドラマ的な演劇作品も一応の認知を得ているだろう。しかし、それでも紡がれる物語とはなにか。静岡芸術劇場が主催する国際フェスティバルに招聘されたワジディ・ムアワッドが作・演出をした『頼むから静かに死んでくれ』という作品は、強くそのことについて考えさせられた。
 セックスをしている最中に、突然の電話によって父の死の知らせを聞いた男。母を生まれてすぐに亡くし、その後、行方知らずとなっていた父。その父から届くことのなかった遺品の手紙を読んだ息子は、戦争の惨禍のなかであれ、父と母の美しい思い出があった祖国に、父の遺体を埋葬することを決意する。そのためにさまざまな困難と人との出会いを繰り返しながら、最終的には祖国の海へと父の遺体を投げ込む。
 物語の大枠はこのようなものだ。もちろん、その細部は起伏に富み、その男の妄想は困難な状況に直面すると、アーサー王の騎士を供として、亡くなった父と会話をし、状況を対象化するかのように映画の撮影シーンがイメージ化されるなど、場面は突然挿入されて空間を飛び越える。演出としても重く質量のあるペンキのようなものを使って、家族の血の重さや旅をした経験や土地の記憶、戦争というものの歴史の重さが、深い色へと繋げられるように周到に作られている。
 そして、父の祖国で相応しい埋葬の場を探すなかで出会うものたちは、同じぐらいの世代でありながら、戦争を生き抜いたものたちだ。しかし、彼らもまた戦争のなかで、父を殺したもの、殺された父を見たもの、父を知らなかったものなど、いくつもの父の姿が描かれる。最後に父の遺体が、それぞれの父の代わりとなって彼らと会話をするのだが、それは非在であった父の象徴的な役割を確認することによって、自身を確認する作業といえるだろう。実際、主人公の男は、そこで幻想のなかで現われていたアーサー王の騎士と別れを告げて、「子供」の時代を終える。
 しかし、あくまで物語の構造はシンプルだ。そして、確かに中上健次が述べたような物語に必要な移動がある。また、ここには文学/演劇の歴史も重層されている。亡父との会話は『ハムレット』を想い出すし、父がかつて暮らした村を下りていくなかにある十字路は、まるで『オイディプス王』の三叉路だ。そして、物語について語る箇所では、恋人を殺された女が、物語を語ることによってそれぞれの人の記憶に消されることなく、行為の痕跡を残そうとする。それは何もかもなかったことにしようとすることへの抵抗だ。ここには、物語を語ることがもはや不可能であるという状況ではなく、まだ語ることができるという可能性のなかに物語がある。
 実際、作家であるムアワッド自身、レバノン出身の作家で、フランスに亡命後、滞在許可の更新を拒否されて、ケベックへ移住したという経歴の持ち主ということも関係するだろう。しかし、それだけではなく、この父をめぐる物語は、まだ必要とされる物語の状況を描き出そうとすること、そしてそのような状況がいまもあることを示そうとしている。これは、まだ文学/演劇が、終わっていないことの徴だろう。
(舞台批評)







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