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評者◆秋竜山
仏教のユーモア、の巻
No.2984 ・ 2010年10月02日
「笑い」の神様。いや、「笑い」の仏様というべきか。アルボムッレ・スマナサーラ『ブッダのユーモア活性術』(サンガ新書、本体七〇〇円)と、いう本。お釈迦さまの説法は「笑い」に通ずるということだ。きっと、ありがたい笑いということになるだろう。
〈「こころに面白いと感じることがあればあるほど、こころが機能する」というのが、お釈迦さまの考え方だからです。「なんとなく面白い」では足りません。「面白くてたまらない」という境地になれば、なんのストレスもなく脳が開発されます。智慧が現れます。これが仏教ですから、つまり仏教とは「面白くてたまらない」ものなのです。〉(本書より) そんなに、面白がっていいのかしら。笑いの哲学は、お釈迦さまの笑いの説教にあるというべきか。ベルグソンもビックリ。 〈(お釈迦さまの笑いとは)仏教は決して「笑い」をねらっているのではありません。「笑い」はありますが、それはそれ自体が目的やねらいなのではありません。「人を育てる」こそ目的とした笑いなのです〉(本書より) ただ、たんなる笑いではないということか。本書では〈仏教のユーモア要素〉として、三つの要素をあげられている。〈1品格があります。2役に立ちます。3教えがあります。〉では、1では、 〈仏教では、世間の品格のない笑いは無駄話とします。そして、「品格のある笑いのほうが、より才能が必要とされる」という見方をします。〉 2では、〈お釈迦さまのユーモアは、「役に立つ」のです。人生を生きやすくし、成功への道へと導くヒントがいっぱいの、仏教の教えをわかりやすく明るく教えてくれます。〉 3では、〈仏教にはユーモアやからかいがたくさんありますが、ユーモアやからかい、笑いだけで終わっていないということを覚えておいてください。ユーモアのあとに、肝心な教えがかならずセットされています。お釈迦さまのユーモアは、現代のプロのお笑い芸人とちがって、笑いをねらってはいません。ねらいは「笑い」ではなく、「人を育てる」ことにあります。〉(本書より) 私もマンガ家として笑いのはしくれであるが、笑いとなれば人ごとではすまされない。座りなおして、「ウム!!」とうなった。それにしても、相手がお釈迦さまでは、くらべようがない。天と地か。「おそれいります」と、額を地面にこすりつけるしかあるまい。 〈お釈迦さまは「笑い」に対してなんとおっしゃっているのでしょうか。お釈迦さまがどのように語ったのか、経典には次のように書かれています。“比丘たちよ、聖なる戒めにおいては(仏陀の教えにおいては)、歌は泣き声のようなもの、踊りは狂気のようなもの、長い時間、音をたて歯を見せて笑うことは幼子になったようなものです。したがって、君たちは歌をやめなさい、踊りをやめなさい、真理を理解することで起こる微笑みだけで十分です。〉(本書より) 微笑だけで十分とは、やっぱり大口を開けて大笑いしたいものだ。お釈迦さまの大笑いしているお姿も絵になると思う。 |
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