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評者◆秋竜山
恥ずかしいんです……、の巻
No.2982 ・ 2010年09月18日




 福田和也『大作家〝ろくでなし〟列伝――名作99篇で読む大人の痛みと歓び』(ワニブックス、本体八〇〇円)で、まず〈はじめに〉が、いい。〈本は、人生を作る〉というタイトル。そして、〈なぜ本を読むのか。そうした疑問を、あなたは感じたことがあるだろうか。〉私の場合、そんなこと考えたこともない。〈なぜ本を読むのか。〉面白そうだから読むのであって、つまらなそうだったら読まないだろう。日頃、興味ある作者のものだったら読む。なにが、むずかしいかというと、読む前から、面白そうか、そうでないのかを見きわめることだ。結果において、当たり、はずれという形となる。
 〈もし感じたことがあり、そのことについて考えたことがあるのなら、それだけで君の人生は何ほどかのものだ。身近なことについて、根本的に考えるということはなかなか難しいものだし、さらに自分なりの答えを得るのは大変に難しい。だが大部分の人間は、私もそうだけれども、そういった問いを持つことなく、書店で本を手に取り、頁に視線を走らせ、そして読み終わるなり飽きるなりすれば、放りだしてしまう。本とのつきあいのなかで、強い印象を受けたり、考えさせられたりはする。その印象がきわめて強いものならば、いつまでも記憶に残ったり、人に印象を伝えたくなる。そうでなければ、何となく面白かったとか、悲しかったといった感触だけが残って、じきに忘れてしまう。ほとんどの人にとって読書とはそういう経験だろう。〉(本書より)
 まったく、その通りだと思う。書店に入る。置かれてある本をながめている。なにがなんでも買わなければならないというわけでもなく。気に入った本がなければ、なにも買わずに書店を出ればいい。なんとなく、手に取ってページをめくってみたりする。そして、なにが恥ずかしいかというと、特別に書店での恥ずかしさというようなものがある。それは、知り合いなどに後から背をポンと叩かれた時だ。知り合いはニコニコしながら「いい本ある?」なんていう。その瞬間、とんでもないところを見つけられてしまったという思いがする。実に恥ずかしい場面であるように感じてしまう。知人は、なんとも思ってはいないだろうが、それでも、そーでもないかもしれないかもしれない。「こいつ、どんな本に興味があるのだろうか……」なんて、声をかける前に、気づかれないように、うかがっていたのかもしれない。と、いうことは、自分は恥ずかしい思いをしていながら、もし、相手の立場だったら、そういう思いになるだろうということだ。ワッ!! 余計なこと書き過ぎてしまった。
 〈川端康成は、処女作品「伊豆の踊子」を、湯ヶ島の旅館に、四年半にわたって滞在しながら執筆した。その間ほとんど宿賃を払わないまま、もっともよい部屋を占領し続けたと聞く。その図太さは尋常なものではない。当時川端は、作家ですらなかった。そしてこの豪気な滞在中に、あの可憐な名作が書かれたのである。(略)もっとも恐るべき客である。〉(本書より)
 私は伊豆で生まれ育ったことから、たとえ、川端康成の時代が昔の伊豆とはいえ、本当にそのような宿があったのか、不思議でならない。でも、あったのだから……ね。







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