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評者◆神山睦美
笠井潔のいう「複岐する実存」はなぜイエスに象徴される悲劇性とは縁遠いのか
No.2980 ・ 2010年09月04日




 千年王国主義や黙示録的情熱が、ミュンツァーのドイツ農民戦争から、クロムウェルのピューリタン革命、さらにはロベスピエールのフランス革命、ルイ・ボナパルトのクーデター、そしてレーニンのボルシェビキ革命にいたるまで、それらを根底から動かしてきたことを認めないわけにはいかないと笠井さんはいいます。一方で、これらの革命が、自他にわたるテロリズムの横行に見まわれて自壊してきたことも事実であると述べた上で、それでも、ジャコバン派のテロリズムの嵐のなかで前近代的な身分制の復活することはなく、ルイ・ボナパルトの第二帝政は、貧民の救済をはじめとする社会政策の模索を進めることになったと述べます。
 このような笠井さんの言説に、リアリティーをあたえるものがあるとするならば、笠井さん自身、「複岐する実存」と名づけた実存の課題をどのように受け取っていくかというところにあるといえます。『例外社会』の終章近くになって、千年王国主義や黙示録的情熱が「この私」の「犠牲」と「死」を前提として、「無数のもう一人の私たち」の相克と氾濫をもたらすといった意味の言葉が述べられますが、正直言ってこのあたりの叙述は社会思想家としての笠井潔の言説というよりも、『哲学者の密室』の主人公、矢吹駆の心情吐露のようにみえてしまいます。
 笠井さんのなかに、現在の例外社会的状況のなかで、死んだまま生きさせられている存在への共苦が強くはたらいていることはうたがいありません。それが、「再帰動物化」という言葉にあらわれ、フーコーの生権力やアガンベンのムーゼルマンに対する関心となって表明されているといえます。しかし、フーコーにしてもアガンベンにしても、生権力や例外状態という言葉を生み出すに当たって、みずからの思想を、大審問官に対する無言のイエスの場所まで降りさせているのではないかと思われるのです。そのイエスが、一人の人間の不幸の特殊性にこだわらずにいられない者であると同時に、絶対的多数の人間の再現のない苦悩に同情で対する大審問官の言葉に耳傾けずにいられない存在であるということ。そのことを、みずからの思想の鏡に映し取っているということができます。
 もちろん笠井さんの一貫したユートピアニズムというのが、このような機微をなみしているというのではありません。大審問官のアーキテクチャについて語る笠井さんは、フーコーの規律権力論やドゥルーズの管理社会論、さらには東浩紀の環境管理型権力を引き合いに出します。そこに大審問官とイエスの対位を独特の仕方で読み込んでいることはまちがいないのです。にもかかわらず、このアーキテクチャからは、襤褸の人イエスの姿が浮かびあがってこない。その理由をたずねていくと、笠井さんのいう「複岐する実存」が、「死」と「犠牲」を前提としてもたらされるものであるとしながら、イエスに象徴される悲劇性とは、どこか縁遠いからではないかと思われるのです。生権力をいうフーコーやムーゼルマンについて語ってやまないアガンベンには、まちがいなく「死」と「犠牲」が、悲劇的なすがたをとって投影されているといっていいでしょう。
 しかし、このことは笠井さんの責に帰せられるべき問題ではないということもできます。実存の課題を背負って、みずからを悲劇的な場所へと向かわせる思想家というのは、この国において数えるほどしかいません。戦後において、それは、折口信夫、小林秀雄、吉本隆明といった思想家のなかに、ようやく数えることのできるものです。たとえば、その一人である折口信夫は、「死」と「犠牲」を厭わない実存のありかたを「自覚者」と名づけることで、そこにイエスの面影をかいまみるということをおこないました。折口がそれをおこなったのは、戦後すぐGHQの神道指令に抗するかたちで発表された「神道宗教化の意義」「民族教より人類教へ」という文章のなかででした。
(文芸批評)
――つづく







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