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評者◆福田信夫
宇治土公三津子追悼号に強い感慨(『駱駝』終刊号)、須田茂の次回を待ちこがれている(「武隈徳三郎とその周辺(一)」『コブタン』)、バルガス・リョサのいう創作態度を貫き、飽かずに読めた創刊号(逗葉文芸『北斗七星』)
No.2980 ・ 2010年09月04日




 この頃、よく人が死ぬ。身近でも暮れから春にかけて、本欄で取り上げた遠丸立(『未知と無知のあいだ』)や浜野春保(『塔の沢倶楽部』)らが逝った。皆80歳を超えていた。が、今回同人誌を手にして驚いた。追悼文の多いのと発行人の交代が目につく(『碑』や『文芸復興』など)。
 まず『駱駝』56号の表紙に「追悼 宇治土公三津子」とあるのに吃驚した。宇治土公は同誌47号(2005年7月)から「走馬燈、廻れ廻れ――友谷静栄と林芙美子」を連載しており、続きを読むのが楽しみだったのに、最後の1回分(9回目)を残して逝去された(享年73歳)、と。しかも1年前に。同誌の「編集後記」に「同人宇治土公三津子が逝って1年になろうとする。彼女の訃は前号で告げた。本号はその追悼号である。奇しくもそれが本誌の終刊号と重なるとは……」とあり、「前号」を送ってくれるはずの発送係のうじとこさんがいないのだから、と。この連載は、昭和38年春、草創期の日本近代文学館に押し入り、32年間勤め続けた彼女の豊富な経験を元手にした随想風の小説で初めて知ることの多い大正と昭和の時代の文学的博物史でもあった。この連載は、04年6月に子宮頸癌が発病する5年位前から構想されたようで10年がかりの大作であったが、「実は友人や身内の者が私の部屋を片づけてしまい、原稿や書類が埋もれましたので、連載完成は1ヵ月延ばして頂いてもムリな状態です」(発行人の林順への手紙より)にも驚く。
 立岡和子の「宇治土公さんの『愛』と『死』を想う」をはじめ林順、木村幸雄らの追悼文には何度も目が行ったが、追悼文と同時に掲載された石井雄二の「中野重治の戦後――共産党再入党問題の周辺」と木村幸雄の「松川事件六十周年に――『自白調書を取られるまで』と『赤間自白の問題』」のタイトルだけを紹介し、30年間の『駱駝』の成果に敬意を表します。
 次に対照的なのが『黄色い潜水艦』52号で今年2月に脳出血で逝った川崎彰彦(享年76歳)の追悼号に26人が寄せているだけでなく、座談会「川崎彰彦 人と作品」や「年譜」「著作年譜」も組まれ、また口絵写真も6葉と、ニギヤカでカンペキな追悼号(同人誌史のなかで一等の)であり、こうしたものを出させた川崎の天衣無縫ぶりに改めて脱帽した。
 これは追悼号ではないが、季刊『舟』139号(創刊1975年)で発行人の西一知が肝臓癌で5月に逝った(享年81歳)ことを西の代わりに発行人となった大坪れみ子の「後記 西一知が亡くなって」で知った。なお本欄で取り上げたことのある大坪が発行人の『新しい天使のために…』は、大坪が『舟』の発行に集中するため6号(1月発行)を最終号とした。偶然か、『舟』の巻頭に死ぬ約1ヵ月前の西の詩「ある日 丘の上で」が出ている。最終連のみ写す。「町中を屍臭がおおった/人びとの姿はみえない/新興住宅地の家々は/みな真新しく/児童遊園地には花もいっぱい/小鳥もいっぱい/空にはきょうも太陽が/何ごともなかったように輝いている」
 『東京四季』98号は「水谷清同人追悼」として谷田俊一「水谷清さんを偲んで」と山田雅彦「こんな純粋な詩人があった」の2編。水谷清(1916~2009年11月)は日本の四季派に通じる抒情性と宇宙観を持つフランスのクロード・ロワなどの詩集を数多く翻訳したりした。
 『視点』73号の「追悼・柿崎五助」は、東海林二一の「柿崎五助君を偲ぶ」と大類秀志の「自然に託した自伝小説」の2編。「柿崎君は、『自分史』の執筆に意欲を見せていたが、離婚問題や……(中略)平成21年12月7日没。享年76。合掌」とある。なお同誌の白井明子の小説「老いのできごと」の静けさと「編集後記」の村上春樹のライサン柘植光彦への批判に手を拍った。
 追悼文から離れ、新旧誌に触れたい。
 まず昭和40年2月創刊の『原点』が満45年4ヵ月を閲して100号を迎えた。創作7編、エッセイ8編、その他で200頁と充実している。泉原猛の「私的総括――16年間を振り返って」と図子英雄の「あとがき」からは愛媛県の地方都市で同人誌を1回も休刊せずに続けることの大変さが切々と伝わってくる。
 『文宴』113号には橋爪博の「生方たつゑ氏に宛てた伊良子清白の未発表書簡」として昭和11年1月から同20年10月までの13通が紹介されている。同誌のいずれも円熟した小説のなかで中田重顕の「去年今年」の「もう、ものを書くのは止めよう、と何度も思う。残り少ない人生、熊野古道を歩いたり、孫の守をしたり、ぼんやり本を読んで過ごしたら何と平穏で幸せだろう。しかし心の奥底には、止めることのできないものが巣くっているのも知っている。もう、世に出ることもプロの作家になることも出来ないのは充分認識している。でも、書くという修羅の世界を捨てれば、生きていると言うことにならないのも分かっているのだ」に目が停まった。同誌の「編集後記」に「最近の文宴を開いて、何か明るく心が和むのを感じます。エッセイの頁があるからです」とあり、羨望した。
 『タクラマカン』45号には『島尾紀補』資料集として寺内邦夫の「奄美・瀬留の聖堂について」とマルコ・ルカ島尾伸三の「ビクトール神父様のこと」などが掲載されているが、これも追悼文なれど坂本幸雄の「高津満也」の豪快さに圧倒され、教わった。
 『コブタン』33号は、石塚邦男の小説「大老の陰謀・天誅前夜」、須貝光夫の紀行文「インド逍遥――精神文化揺籃の大地を歩く」、須田茂の評論「武隈徳三郎とその周辺(一)」があり、小説は開国から安政の大獄までの裏舞台に迫った歴史小説で、紀行文は1993年夏から今年3月まで4回、計200日近くインドの各地を遊歴したことの300枚近い労作であるが、ここで紹介したいのは武隈徳三郎(明治29年8月3日~昭和51年11月28日頃)のことである。武隈は大正7年(1918年)に刊行された『アイヌ物語』(富貴堂書房)の著者として知られ、序文でジョン・バチェラーが「アイヌ人著述の嚆矢」と書いた。同書が出た5年後の大正12年には知里幸恵の『アイヌ神謡集』が刊行され、近代アイヌ民族の歴史にはそれ以後、違星北斗、バチェラー八重子、森竹竹市らの文筆活動が現われてくるが、その頃から武隈の著書や名前が消える。須田は執念深く、その謎に迫る。河野常吉、ジョン・バチェラー、佐々木喜善、金田一京助らとの通交にも。次号では『アイヌ物語』等の著述に見られる武隈のアイヌ教育ならびに同化に関する思想、同胞とキリスト教との関係に踏み込むとのことで大いに待ちこがれている。
 最後は明るい一冊を。逗子と葉山に居住するメンバーによる逗葉文芸『北斗七星』が創刊された。代表の喜多哲正の指導によるもので「作家がテーマを決めるのでなく、テーマが作家を決めるのである」(ペルーの作家バルガス・リョサの言葉)という創作態度を貫いてきたせいなのか小説9編、エッセイ4篇、その他で192頁をほぼ飽かずに読め、トクをした感じ(但し、ゴショクがヤハリ)。
(敬称略)
(編集者)







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