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評者◆小野沢稔彦
実にバカバカしく悲しい、笑うに笑えず、泣くに泣けない不条理な世界――アベル&ゴードン+ブルーノ・ロミ監督『ルンバ!』『アイスバーグ』
No.2977 ・ 2010年08月07日




 人間の歴史とは、自己と世界との関係性を表象する様々な方法を獲得する歴史でもあった。とりわけ、道具に捉われない表象の方法として、身体を使った(身振り・所作)運動性は、人間の歴史とともにあり、現代にまで至っている。その伝統は民衆芸術の中に豊かに息づき、例えばサーカス、とりわけ道化の芸に結実し、道化が行う豊かな身体的パフォーマンスは、私たちの想像力を刺激し続けてきた。そして、その誕生の最初から民衆芸術との深い関係性の裡に生きた〈映画〉という表現も、キートンやチャップリンを持ち出すまでもなく、その伝統の中で、その伝統を生き直すことによって、表現の内実をより豊かなものにしてきたのである。しかし、70年代以降、道化的身体性は柔らかい制度的拘束性の前にまったくその活力を奪いとられ、映画においては(特に若い人において)、身体演技を媒介とする道化的世界は完全に忘れ去られている。
 そんな情況下に観た二本の映画は、まだ(日本以外では)圧倒的にバカバカしく、豊かで観る者の制度化された感性を挑発する、笑えて悲しいスラップスティックコメディの世界が存在し続けていることを証すものであった。『ルンバ!』『アイスバーグ』(共にアベル&ゴードン+ブルーノ・ロミ監督出演作)である。
 この二本の作品の豊かなオカシサについて、解説など記すことは不可能であり、虚しい。まさに直接映画に当ってもらうしかないのであり、以下の妄言は評者たる私のまことに貧困な批評能力を前提とする、印象記以外ではない。
 まず『ルンバ!』――世界は不条理にできている。このことを、これ程あからさまに開示し、バカバカしく展開した映画はそうざらにあるものではない。カフカではないが、不条理とはバカバカしいことに他ならない。そのバカバカしさとは何か! それは、まったく偶然に生ずる――なぜか私たちは、必然によって私と世界が動いていると信じている――、表面的には他人によって生じた、当人とは関係ない出来事から生まれる、世界のズレの裡で、その偶発的モノ的世界こそが現実であり、そこに生きざるをえない男と女が経験し、理由もなく関わらざるをえない、この世界の不条理性についての映画的考察=構成とでも言うべきなのだろうか(否、映画はそんな屁理屈とは無縁にただバカバカしい。不条理とはそういうこと)。そしてまた、このドタバタ劇は美しい愛のコメディでもある。その時、男と女を結びつける「愛」とは、愛という観念ではなく、二人の身体に記憶されてある「ルンバ」のリズムが表象し構成するものなのだ。
 当然のことながらこのスラップスティックコメディは言葉によって語られることはない。意味の桎梏から遠く離れ、身体による所作――行為の反復、模倣、拡大、変形などあらゆる道化的芸の伝統にたつ鍛えぬかれた身体芸による――によって、私たちが自明としていた強固に塗りかためられた世界の覆いが剥がされ、解体され、実に単純な事柄として提出され直す。映像的にも、自明らしさを作為するCGなどは一切使われることなく、実にシンプルな画面構成と引きっぱなしの空間――身体表現を感知させるための――と、更に何とも古典的な映画表現、例えばスクリーンプロセス(これが実に効果的)などの意図的使用によって、秀逸なナンセンスギャグコメディの世界へと観る者を導引する。同時に計算されたロケ撮影を巧妙に使い、観る者を何とも不可思議な世界へと誘う。
 さて、この作品を決定的にネジレさせる二つの出来事=エピソードに関して書いておこう。一つは、二人の世界とは現実的に関係ないデカ男(しかし切実に関係することになる)の自殺についてのエピソードであり――このエピソードはオカシク、かつ哀切である――、もう一つはその自殺事件の結果、記憶喪失になった男が買ったチョコレートパンをめぐるエピソードである。男は朝食のため、自分と女のためにチョコレートパンを買う。そしてたまたまバスストップで自分用を食す。バスが来たので男は乗り込む。乗客はもう一人、チビ男。チビ男は、男の持つ袋がやけに気になり、何だと聞く。男は応える、チョコレートパンだ、と。バスは終点に着き(海辺。様々な海の表象がこの映画に光彩を与えている)、二人はバスを降りる。チビ男はやにわにチョコレートパンを男から奪おうとする。格闘のすえ、チビ男は男をボカボカにし、チョコレートパンを獲る。そしてチビ男は、海に面した断崖の上でパンを食べようとすると……。そしてまた、世界は別な世界性を開く。お望みとあらばこのエピソード、「戦争」とか「グローバリズム世界」とかの暗喩とも……。否、実にバカバカしく悲しい、笑うに笑えず、泣くに泣けない不条理な世界そのものなのである。
 全篇このような、エピソード=出来事によって、世界が不条理であり、人間はその宇宙を宙吊り芸人のようにあやうく生きるしかないことが構成されていくのだが、この豊かな細部については書くことがとてもできない。映画を観てほしい。懐かしさを込めて追記しておけば、例えばゴダールの『小さな兵隊』の「邪魔の法則」や足立正生の『性遊戯』の「マラソン家族のギャグコメディ」など、それ自体実にバカバカしいナンセンスギャグが、実は深く作品全体を規定し、作品を活性化していることとも、『ルンバ!』のギャグは通底している。
 そして『アイスバーグ』については、枚数がないので実に貧困な結論だけを記しておこう(私はこの作品がむしろ好きである)。それは、カフカ風に言うなら「もう取り返しがつかない」始まりを始めた女が、取り返しのつかない世界に向かって突き進むしかないそんな人間のドラマなのだ。始まってしまえば、人間も世界も全てが取り返しがきかないままに世界はめぐり、ネジレを生じ、そのネジレをともあれ、人間は突き抜けるしかないのだ。ネジレはネジレを呼び究極の冒険は、奇妙でオカシイ無償の決意性を帯びた普通の女の取り返しのつかない冒険譚となってある。眼差しさえ交叉することのない家庭生活の中で――こんなことさえ気づくことのない、全てが固定化された日常――、偶然にバカバカしく起こった出来事を契機に、その制度的日常を超えて「氷山=アイスバーグ」に愛されて生きたいという「主婦」の冒険への決意(夢でも、幻想でもない現実の)。ここには理由などない。女は、もう取り返しのつかない世界へと越境し始めたのだ。そしてそれが「人生」なのだ。
 この作品もまた、民衆文化に深く根ざしたサーカス的道化世界の豊饒な記憶の中に、何ともナンセンスでバカバカしく、そしてどうしようもなくそうでしかない世界の不条理を浮かび上がらせる。この作品については(『ルンバ!』も)演出の三人と、女の道行き同行人・船長、そして自殺願望のデカ男を演じる快優・フィリップ・マルツ以外は、撮影現地の「素人」である。そしてこの民衆を構成し、民衆を演ずる人々、それぞれの「顔」と「演技」とが、民衆の記憶にひそむ身体芸の伝統を噴出させて、形容しようもない不可思議な世界を紡ぎ出す。
 そして、こうした映画(日本の観客にどう受け入れられるのか)が、日本で公開されるに関して、この作品を発掘したことを含め、まことに配給という事業が優れた批評活動でもあることに、改めて思い至ったことを付け加えておく。
(プロデューサー)
『ルンバ!』『アイスバーグ』は、7月31日(土)より、日比谷 TOHOシネマズ シャンテにて公開(2本立て)、以降全国順次公開。(フランス映画社)







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